2017/02/14

久々に自分の建築について書いてみた。





昔から僕の建築は、分かり難いとよく言われてきた。
僕自身は、何が分からないかが分からなかった。
作ってきたものはそれなりに自負はあるし、
おそらく他のどの建築家と比較しても見劣りすることはないだろう。
実物を見たことのある人は、そのことにも納得してくれるだろう。
ただ,それも極一部の人に過ぎない。
写真でもなかなか伝わらない。
やっぱり時々言葉で説明する必要があるようだ。
あらためて今回自分の建築を言葉で表現しようと試みた。
こんな短い分だけど、スタッフの意見を聞きながら何日もかかって書き上げた。
もちろん,僕の建築の断片でしかないけれど、
僕の建築の作り方の根っこは,少し感じてもらえると思う。









                    僕の建築





イメージをリメイクする建築には全く興味がない。自らのイメージを超える建築をずっと模索してきた。今、理想とするのは、完璧な機能と自然(じねん)が調和する建築。そこに豊かさと普遍性があると確信している。


僕にとって建築の機能とは、安全、安心、便利、快適を担う必要条件であり、五感で感じるものすべてのことである。だからディティールにこだわる。誰かの亜流に見えるデザインも、その時のベストであれば躊躇はない。僕のプランが素っ気ないほどシンプルなのは、機能が何よりも優先するからである。

自然(じねん)とは、nature のことではない。古くから仏教用語としてある無為、無意識、ありのままであることをいう。今ここでいう自然(じねん)は、自然環境や自然素材、現場で起こる偶発性、職人の無意識などのことである。

僕は、人の五感と建築との接点を機能と捉え、合理的に設計する。しかし、機能的であろうとすればするほど、自然(じねん)とは、相容れなくなる。そこで留まってしまえば、建築はイメージを超えない。それは僕にとって全く魅力のない建築だ。そんな時僕は、自然(じねん)に委ねる。でも、それはとても怖いことだ。その怖さを減らす手段は、2つしかない。ひとつは、技術や知見を高めることと。もうひとつは、施主からの揺るぎない信頼を得ることだ。どんなに優れた技術や知見があったとしても、施主からの信頼がなければ、武器を持たない兵士と同じだ。だから、僕は自然(じねん)と対峙する前に周到な準備をする。




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