2016/08/31

伊礼智さんの勉強会にいって感じたこと。

先週末、伊礼智さんの勉強会に行ってきた。彼のライフワークである標準化によりいっそう懐疑的な思いが強くなった。「標準化の行き着く先はハウスメーカーを利するだけではないか」という私の質問に「ハウスメーカーは無垢の木は使えない」という理由で真っ向否定した。彼がいう「多くの人たちに質の高い住宅をリーズナブルに提供したい」という思いは共感する。いま現在も大企業と商品開発をしている彼がなぜハウスメーカーを否定するのだろう。木枠までもプレカットにして現場から職人の技術と心を減らし、メーカーの商品を多用しプラスターボードに塗り壁をする彼が無垢の木にこだわる理由がよくわからない。意地悪な見方をすればそこが最後の砦なのかもしれない。繰り返すが標準化を否定しているのではない。それは彼が求める理想に不可欠なものだ。しかし、その行く末にハウスメーカーが大手を振って迎えているような気がしてならない。それを否定する彼には密かに人に言えない理想?欲?があるのではないかとさえ感じてしまう。

彼は講演の中で標準化することで、熟練した職人や建築士が必要ないとも話していた。それは、私の後に質問に立った棟梁の「私たち町場の大工の仕事は無くなってしまうのではないか。」の答えの中にもあった。「今後は宮大工のような特殊な技能はますます需要が無くなる」という趣旨だった。彼はそのために大工でも作れる家具(わざわ座)を開発したという。すかさず棟梁はいった。「僕は家具を作るために大工になったんじゃない。家具は家具職人が作った方がいい。」私にはその意見が真っ当に思えた。

いま、町場の職人が急速に高齢化し激減している。宮大工のような専門職は少ないながらも残っていくだろう。問題は町場の大工や職人たちだ。彼らが宮大工よりも技術が劣っている訳ではない。造るものが違うだけだ。そして、彼らを下支えしながらも技術の向上を仕向けられるのは、今私たち建築士しかいないのはみんな自覚しているだろうか。社会のニーズに逆らい非現実的な意見を言うつもりはないが、このままでは町場の木造文化は職人の消滅と共に絶滅するだろう。その建築士が標準化と銘打って、町場の職人を減少させるような仕事をしていいのだろうか。ハウスメーカーは社会のニーズに従っているだけなのでしょうがない。しかし、今、町場の建築士と職人、それを支える材木屋や建材屋は同じ小舟に乗り、荒れた海で遭難しかかっている。私たちは同じ運命をたどる同志だ。その同志を見捨てることは同時に自らの仕事を見捨てることだ。私は町場の職人と仕事をする。メーカーとは仕事をしない。そして、同じ設計はしない。少しだけ無理なことをする。標準化とは真逆だ。それがお互いを成長させ仕事を面白くさせる方法だから。町場の建築士は町場の職人と町場の建築文化のために仕事をするべきだ。大企業は何もしなくても拡大していくのだから。

目先のことしか考えていない馬鹿な編集者が取り上げるから事はよりいっそう深刻だ。将来、同じような住宅が増え情報が偏り、町場の木造文化は衰退する。結果的には雑誌も売れなくなる。取り上げる方も取り上げられる方も私には何かうさんくささを感じてならない。

勉強会の最後に坪単価の質問があった。75万円〜120万円という答えに場が一瞬凍りついた。そこに参加している多くの職人と工務店は、普段その半分くらいの予算で仕事をしている人たちばかりだから。その瞬間、彼らにとってこの勉強会があまり意味のないものだったことが容易に想像できた。

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