2016/05/31

ぜんぶ手でつくる  38







苦手なこと








昨日、仕事仲間と少し長電話をした。
彼は、去年仕事をした著名な建築家の話をしてくれた。
電話を切った後、久々に挫折感にも似た脱力感を感じた。


話の中身は、アウトプットのスキルや関心の違いについてだった。そして、それで知名度にかなりの差が出ることの彼なりの感想だった。

話は的を射ていた。そのことは自分でも充分に自覚し、もう何年も悩んでいることだ。

理由も自分ではよくわかっている。

ボクにとって何より楽しいことは、

「設計をすること。」

「みんなで心をひとつにして建築を作ること。」

それ以外のことにどうしても楽しさを見出せない。

ましてや、どんなに美しく撮られた写真であっても「これが私の建築です。」といって発表することにどうしてもわだかまりがある。

当然アウトプットに費やす時間は少なくなるし、スキルも上がらない。今さらそこで勝負をしても勝ち目もないし、やりたくもない。

職人の息子は所詮そういう才能はないと諦めて自分の得意とするところを極めるしか無いのかもしれない。


まだしばらく綱渡りのような人生が続きそうだ。

2016/05/30

27回目のお祝い

今月27日で27回目の結婚記念日。
おかげさまで無事?に迎えることができました。
感謝!感謝!
昨晩は東京の次女を除いて長女と3人で


初コーヒーショップ

千種の maruyoshi COFFEE
古屋のリフォーム。

お勧めのブレンドと家内の最近のお気に入り。
いろんな店のエチオピアを試飲中。

2016/05/21

バイブル




70年代、80年代の高度成長期、雑誌「新建築」が最も面白くて元気のあった時代の編集長馬場璋造氏が書いた本。

事務所を始め建築の作り方に疑問をもち、試行錯誤を繰り返し失敗の連続で借金を積み重ねていた時期。「自らの手でつくろう」と決め、動き出した頃に出会った本。

建築士が施工をすることがタブー視されている(今でもある)中で、とても勇気を与えられた。建築家としての生き方、哲学など自分の考え方生き方に間違いがないことを確信出来た本だった。今でも時々読み返している。本は赤線で真っ赤。笑

2016/05/18

ぜんぶ手でつくる  37








同 志







愛するということはお互いに見つめあうことではなく、ともに同じ方向を見つめることだ。

                                                                                  
                                 サン・テグジュペリ




クライアントは建築を通じて一生を共にする同志だ。

クライアントとの関係は結婚と良く似ている。何らかの縁で全くの他人同士が長期間良好な関係を持続させるにはそれなりのルールが必要だ。

恋愛関係を維持しながらお互いに見つめあったままの関係を続けることはできない。視野が狭くなり、互いに依存しがちで良好な関係を長期に維持するのは難しい。そのためには互いに信頼に足り、かつ共に同じ方向を向いていける相手かを見極める時期が必要だ。それが基本設計の時期になる。

結婚式とはお互いが横並びになり、同じ方向を向いて人生を歩む決意を表明する儀式だと思う。ボクはそれを設計契約においている。

2016/05/17

日本版アニメ対話型AI

中国で4000万人が利用していると言われている対話型AI”シャオアイス”がすごい。

相手によって対応を変え、また学習し最適な対話相手に成長する。
日本版はおそらくこれにアニメが加わり、理想的な恋人や伴侶になるだろう。時には励まし、時には一緒に喜びまた悲しむ。誰よりも自分を理解する。

これはやばいと思った。おそらく経済活動に必要な人間関係以外全く必要なくなるだろう。もちろん結婚もしなくなる。少子化なんて話じゃない。SNSだって必要ない。社会の分断と孤立を生む生物兵器ならぬ社会兵器になるだろう。


近い将来出てくるであろう日本版アニメ対話型AIは、とてつもない勢いで広がり、とてつもない勢いで社会を疲弊させるだろう。しかし、またそれで救われる人も少数ではないはずだ。社会がこの負のスパイラルを逆回転させる日はいつ来るのだろう。

ぜんぶ手でつくる 36







人工知能と建築の仕事と教育








この間のNHKスペシャルは面白かった。全体的には人工知能の今を紹介する番組ではあったが、近未来を想像するに充分な内要だった。

見終わった後の心境はかなり複雑だった。多分それは未来に対する希望と失望が入り混じっていたからだ。少し前までは人間に残された唯一の砦は「創造力」だと信じたい気持ちがあった。でも、それも空しい妄想だった。

新種の手を自在に打つアルファ碁を見て背筋が寒くなった。20世紀の初頭、コルビジェとミースの出現によって建築はレジュームチェンジした。しかし、残念ながら次のレジュームチェンジは人間ではなさそうだ。それもそう遠くない未来に。

実際に今個人の建築事務所が選ばれる理由にデザイン、機能、コストパフォーマンス、信頼性などがある。しかし、これらの価値も風前の灯だ。我々の仕事の多くが人工知能に取って代わるだろう。我々建築士は条件を入力し、出てきた案を選択し、精査するだけの仕事なる。条件の入力と選択することしか個性を発揮するところはない。それで社会は我々を必要とするだろうか?。コンプライアンスはもちろんのこと、施工図、正確な見積まで出てきてしまえば、我々に残る仕事は現場監理くらいだ。それも大企業が本気になれば風無くなってしまう。残るは義理人情で食いつなぐか?.笑い話にもならない。

かたや、トップアーキテクトがしのぎを削るコンペも怪しい。優秀な学生を引抜きコンペに挑む。そのスタイルももうそう長くはない。プログラムを入力する数人のスタッフがいれば、人工知能ははるかに斬新で合理的、新奇性に富んだ案を出す。おまけに審査員の傾向と対策まで盛り込んだプレゼが出来上がる。裏を返せば、小さな個人事務所や学生でも大きなコンペを勝ち取るチャンスが出てくる。


一方、心配なのは大学の建築教育だ。今までも多くの学生が生涯ほとんど経験することのない大規模な公共施設の設計をさせられてきた。そして、なんだか本人も実感の湧かないコンセプトとプレゼンテーションの卓越さが評価される。何度でもいうが、コンセプトとプレゼンテーションはクライアント不在か信頼関係が希薄なほど重要度を増す。人工知能が多くの仕事を奪っていく近い将来、ほとんどの学生は人と人との繋がりでしか生きていく術がない。コンセプトとプレゼンテーションは人工知能の仕事だ。講評会など無駄な授業は一刻も早く止めて、信頼される人間力の種が芽生える教育を始めるべきだ。

2016/05/11

ぜんぶ手でつくる 35




これから・・・




ミースとズントーを比較することで自分の「これから」を考えてみた。

あくまでも私感であり正論を主張するものではないが、建築に対する考え方の一端を紹介する。


彼らのオリジナリティーについては何ら疑う余地はない。がしかし、幾度となく彼らの建築を実際の設計の生かしてきたボクから見ると彼らのオリジナリティーにはハッキリとした違いがある。

ズントーは真似をし難い。それはすぐに「らしく」なってしまうから。ある意味キャラが立っていて個性的だ。でも、ディティールは多分にミースやカーンに影響を受けている。カーンからは素材と素材との見切り方。特に違う素材との見切り方はスイス人のアイデンティティーと相まって完璧にオリジナルまでに昇華している。ミースからは寸法を学んでいる。最近はよりプリミティブになり、目指す建築の地平がミースに似てきた。

かたやミースは、ディティールの応用が利いて自分のものにしやすい。少し好みを加えるだけで元ネタがミースだと分かり難くなる。彼の建築は基本的で原初的だ。建築界のアインシュタインといって良いほど近代建築の定理を示した。だからその定理を使えばいろいろな建築に応用出来る。人類の発展に多大な貢献をした建築家だ。

真のオリジナリティー、独創性とは、後世の人がそれをどれだけ真似し利用したか、いわゆる人類に対する貢献度にあると思う。ぼくら日本人は数寄屋を300年以上もスタンダードとしてきた。おそらくミースの建築も今後数百年はスタンダードになり続けるだろう。

才能の優劣は語るべくもないが、ボク自身の個性を考えると目指す方向性はやはりミースになる。ズントーのようなキュートな個性を生かした現代的な建築にも憧れはあるが、ボクには難しい。出来たとしてもそれはおそらく亜流、いわゆる2流になるだろう。



究極、アノニマス(無名)なスタンダードになる建築を作りたい。

2016/05/10

今日から展示



正面ピンぼけ写真は私の撮影。
事務所名が何処にもない。

知る人ぞ知る。(笑)


今日から大名古屋ビルヂングン11階のグランデコールのエリアで事務所紹介の展示が始まった。

6事務所が参加。

近くに行った際はどうぞ。



























2016/05/09

ぜんぶ手でつくる  34






契約のタイミング 




ボクは、実施設計まで設計契約をしない。期本設計は施主にとっても一番楽しい時期。契約をすることでお互いの関係に責任と義務が加わる。出来れば基本設計は「遊び」にしたい。その方が面白いものができる。


もうひとつは基本設計をお見合いの期間としている。いわゆる信頼関係を築く期間。自由な関係、立場を維持することで、よりいっそうお互いの理解を深められる。


ハッキリいうとボクの仕事は信頼関係が全て。それがなければ、さじ加減をしてしまったり自分の才能や実力を全て出し切れない。最善と思うものを提案できない。そういう仕事は絶対にしたくない。最善と思えない仕事ほど苦痛なものはない。そういう仕事をスタッフにも職人にもさせたくない。


何よりも最も不幸なのは、そんな建築にローンを払い続け一生面倒を見ていかなければならないクライアントだ。ボクはそんな仕事をするためにこの仕事を選んだんじゃない。


自分がベストと思えるものを提案し、それを請負い自分で作る。それによって生涯晴れがましい気持ちで責任を持って建築ともクライアントとも付き合っていける。それを実現させるためには急がば回れ。契約は環境が整ってから。


過去には基本設計の段階でキャンセルになったこともある。もちろんタダ働きだ。クライアントも時間を無駄にする。でも、結果としてそれで良いと思う。建ててしまえば取り返しがつかない。


自分が設計すれば全ての人が幸せになるわけではない。むしろその方が少ない。建築家には専門家として冷静に判断できる信念と品性が不可欠だ。



ただ最近、以前のクライアントから「この時期ボクが本当に仕事をする気があるのかどうかがとても不安だった。」と言われた。それはボクも同じ気持ちだ。でも、生涯付き合っていこうという覚悟を持つには、お互いにこういう時間は必要だと思う。




ぜんぶ手でつくる 33






重練られたディティール








ディティールは、小説家が言葉を紡ぎ出すように建築家が形に心を乗せていく神様が与えてくれた箱舟だ。

職人が作り始める瞬間までディティールを考える。すでにその段階で当初の案からは相当数描き直しているにもかかわらず。30年以上のキャリアがあっても、それを合理的に済ますことができない。ただ最近はどうやらそれには意味があることに気付いてきた。

ボクはコンセプトを考えるタイプではない。諸条件を元にその時に作りたいもの、浮かび上がったものを衝動的に案にしている。だから、とても感情的、情動的なものになりがちだ。当然、同時に生み出るディティールもそれなりになってしまう。いわゆる波でいうと荒波状態。それを人が乗れる波になるまでにはかなりの時間と思案が必要。


変更といっても刷新する訳ではない。以前の思いを残しながらその時の思いを重ねていく。重ねられた波模様は多分に偶然性を帯びる。それを数回繰り返すことで荒波だったものが小波になり、さざ波に変わっていく。最終的には当初の案からは想像出来ないような波模様となる。

それはボク自身も意図出来ない感情のゆらぎでもあり、情緒でもある。最近はそれこそがボクのオリジナリティーではないかと考えるようになった。

2016/05/07

思い出づくり



子供が小さかった頃は、

私たち夫婦には家族旅行が出来るような金銭的に余裕がなく、

おまけに年子で、長女がかなりおてんばだったので、

旅をノン気に楽しめる状況ではなかった。


出不精の我々夫婦には家族で旅行に出かけるのはかなり高いハードルだった。



ここ数年で娘たちも成人し、何かと余裕も出て来たので

機会を見つけては家族4人で旅行をするようになった。




しかし、私たち家族が頻繁に旅行をする本当の理由は別にある。

それは家族4人で旅行をする機会は、もうそんなに多くない。

そのことをボクも家内も充分に分かっているから。




いつになるかはまだ分からないけれど、

娘たちどちらか一人でも結婚すれば、

ボクの4人家族はその時点で解散になる。





どの家族も通る当り前のことだけれど、

いざ、現実が近づいていることを実感すると

「今」を大切にしないではいられなくなる。




そんな理由でぼくら夫婦は、

もう二度と帰って来ない家族の「いま」を

作るために今になってせっせと家族旅行をしている。



仕事柄、子育て世代のご夫婦とお付き合いをすることが多いので

先輩から少しアドバイスをさせて下さい。




子供が小さい頃は、責任感と義務感でなかなか子育てを楽しむ余裕がありません。

でも、子育てが出来る今の幸せを充分に味わってください。

過ぎてしまえば大変なことも全て良い思い出です。




そんな訳で今回のゴールデンウィークの家族旅行は、奥三河の茶臼山周辺と伊良湖岬の旅でした。























 山頂にて


































ホテルの部屋からの夕日





長女の念願だったかに食べ放題の夕食













伊良湖の海







灯台をバックに。偶然に子供が写り心霊写真に。













イチゴ狩り。季節外れなので誰もいなくて大粒を食べ放題。
娘たちも大満足。ボクも娘たちも50粒以上食べた。




2016/05/06

デトロイト美術館展   豊田美術館








































先日、豊田美術館でやっている展覧会に行った。

ゴッホの絵が表紙のポスターが多いので

よくあるパターンで

目玉はこれくらいかと思って

それほど期待せずに行ったら

ビックリ。


どの絵もそれだけで日本だったらひとつの展覧会が

出来るくらいのものばっかりだった。



これだけ有名な絵を一堂に会して見るのは久々だった。


展示数は多くはないが久々に感動した。


また、展示の仕方も好感が持てた。


もったいなぶらずに


普通に展示してあるのが良かった。


やっぱり絵の展示はなるべくシンプルが良い。


価値はひとそれぞれだから。








2016/05/03

ぜんぶ手でつくる 32







「思うような仕事ができない」






という同業者の話をよく聞く。そんな時、僕の答えはいつも同じだ。



「発信している情報が間違っているから、
問い合わせが来た段階ですでに手遅れだ。」



原因は2つ。ひとつは自分が本当にやりたいことがまだ分かっていない。もうひとつは、もしあったとしても本気でそれをやり通す覚悟がなく、仕事を失くす恐れから風呂敷を広げすぎている。


一般の人から見ると、そういう建築士は本心とは別にどんな仕事も喜んで引き受けるように見える。何がしたくて何が得意かが全く見えていない。だから相談する方もそれが分からずに問合せをしてしまう。その段階で出している情報が間違っている。だから問合せが来た段階で手遅れになっている。



「なんでも、丁寧、親切、お安く、かっこよくにやります。」風なホームページは本人の自己満足だけで、相談する方にとっては違いがわからず迷うばかりで全く不親切だ。



自分のやりたいこと、得意なことを明確にして、それに共感するクライアントと仕事をすることが最も誠実な仕事の仕方だと思う。

ぜんぶ手でつくる 31


 



「情 報」







今、僕がクライアントと出会うチャンスは、ほぼインターネットに限られている。ここ数年はあえて雑誌への掲載や賞取りレースやコンペの参加も避けてきた。要するに余計な情報を載せないようにしてきた。

例えば雑誌は編集長の意向が如実に反映し、編集長が見せたい僕の仕事が紙面に載る。それが往々にしてどこか誇張されたりして誤解を招いてしまう。賞なども審査員の価値判断がそのまま結果として出てしまう。審査員の感性が僕と近いものであればまだしも、全く違うものであれば、その賞は弊害こそあれなんの役にも立たない。


僕らは定番商品を作る仕事ではない。情報がいくら親切で正確であっても結局作るものはその都度違う。だから、情報よりも僕ら自身を信頼してもらう方が大切だ。カタログのような情報は、偏重したクライアントを呼び寄せ育ててしまう。

相互の信頼関係がなければ幸せな建築は生まれない。互いを信頼できる感性が不可欠だ。しかし、今私たちはネットに出ている情報を信じ判断することに慣れてしまっている。そんな私たちが、一世一代の家づくりの際に特定の建築家を信じ任せることはかなりハードルの高い話だ。

だから、建築家には高い人間力が求められる。