2016/02/29

今度の階段




今、設計している階段はこんな感じ!
The next stair is such feeling.



「城西の家」の写真の一部

最も近作の「城西の家」に先日メンテでお伺いした時に少し写真を撮ってきた。
といってもテーブルや照明の一部。
写真の出来が悪かったので捨てようかとも思ったけど
いつちゃんと撮れるか分からないから捨てる前に一部を紹介。
























2016/02/28

ぜんぶ手でつくる  29




 「建築の12の原則」
                            
"12 Principles For Good Architecture"                        



Dieter Ramsの「デザインの10の原則」を参考に考えてみた。


1、Good archtecture is innovative.
  良い建築は、革新的である。

2、Good archtecture makes a person lively.
  良い建築は、人を元気にさせる。

3、Good archtecture is aesthetic.
  良い建築は、美的である。

4、Good archtecture makes a person tolerant.
  良い建築は、人を寛容にさせる。

5、Good archtecture has sereneness.
  良い建築は、静謐である。

6、Good archtecture is honest.
  良い建築は、誠実である。

7、Good archtecture has longevity.
  良い建築は、恒久的である。

8、Good archtecture is consequent down to the last detail.
  良い建築は、あらゆる細部まで一貫している。

9、Good archtecture is symbiotic with everything.
  良い建築は、あらゆるものに共生的である。

10、Good archtecture is as little design as possible.
  良い建築は、できるだけ少なく。

11、Good archtecture is functional.
       良い建築は、機能的である。

12、Good archtecture has affectivity.
       良い建築は、情緒的である。

2016/02/22

岐阜、柳ヶ瀬、メディアコスモスに行って来た。

岐阜に行って来た。本来の目的は蕎麦屋だったが、出たのがあまりにも遅かったので、到着した時にはすでに売り切れで店はすでに閉店状態だった。



その後、柳ヶ瀬の商店街に行った。
かなり多くの露天が出ていて賑やかだった。
こんな感じで音楽も流れていた。



柳ヶ瀬に来た目的のひとつはこの店。


 このわらび餅。
かなり人気で運良く最期のひとつにありつけた。
信じられないくらい柔らかく、口に含むと溶けてしまうくらい。
長女は「これは液体に近い」と言ってた。
忘れられない食感だった。

きな粉もかなりこだわったものだと思う。
市販ではあまり味わえない感じだった。






 これも最期のひとつだった。
生クリームが入っていない。
かなり大人味のプリン。
ほうじ茶の苦みと香りも予想以上。
素材を活かすために甘さもかなり控えめ。
ジャンキー好きには物足りないかもしれない。
うちの家族にはど真ん中のプリン。

草餅。
この色から想像出来ると思うけど、
かなりよもぎの分量が多い。
香り味とも期待通り。
案も甘くなく小豆の味もよくわかる。


これはおまけで買ったもの。
表示通りもちもちの食感が記憶に残る。

この店はかなり店主のセンスがいいのを感じた。
素材を大切にしていることが本当によくわかるものばかりだった。
何でもやっぱりセンスと信念かな?




時間があったので、おまけに行って来た。
図書館でこれだけ来場者が多い施設は、
公共施設としてはかなり優れていると思う。




同業者の評価が比較的良かったので、
 少し期待していったが伊東さんの印象は変わらなかった。
ガラ携で撮ってもこんなにきれいに撮れちゃう伊東マジックに感嘆。

伊東建築の印象。
インテリア+アーキテクチャー = インテクチャー

かな?



それよりも撤去解体される旧県総合庁舎が哀しそうだった。



2016/02/16

鞄の修理





今日は西区の平野靴店ことwardrobe shoe serviceに鞄の修理の相談に行った。



この鞄は高校生の時から使っているので、付き合いはかれこれ40年近くになる。
手入れが悪いので革もぱりぱりで元のようには直らないが、手放す気にはならないので平野さんのところに相談に行った。襠の部分を良く似た革でまるっと変えることでどうにかもうしばらくボクの手元にいてくれそうだ。嬉しい。


自作オリジナルの靴や小物もあった。
ボクの大好きな職人の仕事だ。
そんな話を少しだけして帰って来た。
出来上がりは3月初旬。




2016/02/15

人工知能のこと


ここ数回、ブログでAI(人工知能)の事について書いていたら、先日の中日新聞の社説でこんな見出しがあった。

恋とか愛とかもデータベース化されて、AIに「それは愛ではありません。」なんて言われる日が来そう。

おそらく恋愛相談も人間にするよりましだろう。



蕎麦屋「伊とう」、「松岡」、名鉄「うまいもの市」


昨日中村区にある「伊とう」にそばを食べにいった。
外観から受ける印象で期待したが、内装は現代的でかなり残念だった。
こういう建物出店をやる場合は、かなりの覚悟でプロデュースしないと諸刃の剣になる。




肝心の蕎麦も内装と同じようなに感じてしまった。



そばがき


出汁巻卵


近くには、かつて料亭だった松岡ある。
ここは26年前、結納をした場所。
今はデイサービスになっていて、少し寂しい感じはしたけど
まだ残っているだけでもいい。






 その後、名鉄のうまいもの市に行った。
出汁屋の三州屋さん。



味噌汁用の出汁をブレンド中。




2016/02/12

ぜんぶ手でつくる 28




 「暗黙知」




「暗黙知」と対をなす言葉に「形式知」がある。「形式知」とは言語化、図式化、データ化された、もしくはされる情報(知)のこと。今、コンピューターの出現でこの「形式知」の範囲が急速に広がり、今現在も拡大している。そのため、かつては一部のエリートの特権であった知的労働までもがかなり危機的な状況になっている。

先日、囲碁ソフト「AlphaGo」がプロ棋士に勝利したとニュースがあった。このソフトの恐ろしいところは、人間と同じように自分で考えられること。従来のようなビッグデータに基づいた量と速度に頼る情報処理ではない。いわゆる「問題」と「目的」さえ与えれば後は自分で考えて答えを出す。我々の仕事でいえば「条件」と「要望」さえ与えれば案が出来るということ。これだけでももうすでに今の日本の学校(建築)教育のかなりの部分が無駄であることと多くの建築士の仕事が奪われることが容易に想像できる。


おそらく近い将来、多くの建築家の仕事はコンピューターが出すいくつかの回答の選択をするだけの仕事になってしまうだろう。また建築家にとって幸か不幸か、彼らには描くことが出来ないような施工図や現寸図も同時に描いてしまうだろう。私が建築を始めた30数年前と比較してもかなり「形式知化」はかなり進んでいる。ここ十数年の建築雑誌を見ても同じような建築が並び違いがわからなくなってきた。今後の建築家の社会的評価は独創性や創造力ではなく、営業力とコーディネート力になるだろう。

ただ私はそういう建築家にもなれないしなろうとも思わない。

「暗黙知」

言語化、データ化、映像化できない「暗黙知」は、昔から芸事の芸、職人の技など見て盗むという形で受け継がれてきた。また、芸術や建築の持つ個々の存在感や空気感もそれに当たる。

今後ますます想像する以上に多くのことが「形式知」に変換され、人の価値は削られていく。今以上に自分にしか出来ないことを掘り下げていきたいと思った「AlphaGo」のニュースだった。










"Tacit knowledge" 








"Tacit knowledge" has a "Explicit knowledge" as a opposite word. "Explicit knowledge" is information"knowledge" that was verbalized ,schematized and data-ized. Owing to the computer, a range of a "Explicit knowledge" spreads out, and enlarges now.Therefore even the intellectual labor which was elitist's certain special privilege is the quite critical situation formerly.


There was news that Go software "AlphaGo" won to a professional Go player the other day.The fearful point of this software is able to consider by oneself like human.It is not information processing to depend on quantity and speed based on conventional big data for. Even if we give "problem" and purpose", they can get an answer by themselves.
Even if it is given a "request"and "condition", it can make the plan on our work. Because of this, it is able to image easily that a considerable part of present the Japanese architecture education is useless and the work of many architects is lost.

Many architect's work would be the work just to choose several answers a computer takes out the near future.The contract drawing and the full-size drawing which can't be drawn for many architects again would also be drawn at the same time. "Explicit knowledge"has quite spread in comparison with 30 several years ago since I have begun to work. A similar architecture has been published when I looked the magazine from ten several years ago and I have lost a difference of them.The social evaluation of the future architect will become a sales force and a coordinates force not originality and creativity.

I can not become such an architecture, and don't intend to become either.


"Tacit knowledge" 


"Tacit knowledge" which can't be verbalized,schematized and data-ized have been inherited by the way of looking and stealing such as the art of artistic accomplishmentsthe skill of the craftsman from old daysIn addition, the same as it is also an individual presence and atmosphere with the art and architecture.


Many things will be changed to "Explicit knowledge" more than we imagine, and the value of the person will be shaved increasingly from now on. News of "AlphaGo" told me the thing.

2016/02/10

模型

模型で天窓の大きさ位置を検討しながら、陽光の入り方や量などを検討中




冬の日中



夏の日中

別の住宅の階段の模型。
また違うデザインの螺旋階段を思案中。



下から見ると花びらのような感じになりそう。




2016/02/09

ぜんぶ手でつくる  27





「ひと」「もの」「こと」







今誌面を賑わす建築を見ると多くの建築家は何か勘違いをしていないか。「ひと」「もの」「こと」を誤解しているか全く無視しているようにしか見えない。

「こと」。これは決してコンセプチャルなデザインや仕掛けのことではない。建築にとって最もプリミティブな機能のことだ。アトラクションのような仕掛けは、消費されるばかりで百害あって一利無し。もし許されるとしたら、自然を感じられる仕掛けだけだ。

「もの」とは素材のこと。構造と素材は一体となって何らかの意味を持つものだ。中身を無視して表面の操作だけに終る行為は、素材に対する侮辱のなにものでもない。素材は建築家の表現の手段として生まれてきたのではない。漆喰は決して白色ではない。無数の色が混ざりあって偶然私たちの目には白色に見えるだけだ。また、決してボードの上に塗られることも望んでいない。

先日亡くなられた「森のイスキア」主宰の佐藤初女さんはあるインタビューでこんなことを言っている。

「食材を、ただ『もの』だと思うのと『いのち』として捉えるのでは、調理の仕方が変わってくるんです。ものだと思えば、ただ煮ればいい、焼けばいいって感じですが、いのちだと思えば、これはどうすれば生かせるだろうか、ということになるんです」



「ひと」とは施主ばかりでなく、建築に関る全ての人のことだ。施主ばかりに関心が向いていないか。優れた建築とはそれに関った全ての人に幸福をもたらすものだ。自分の欲求を満たすために誰かを犠牲にしていないか。そのために全ての人と心のキャッチボールをしなければならない。家づくりが楽しいゲームとなるように。












  "Person" "Thing" "Fact"



I wonder that many architects not do any misunderstanding now when I look many architecture to put an architectural journal. It seems to misunderstand or completely ignore "person" "thing" "fact" in me.  

"Fact". This is not  a conceptual design and devise, and is the most primitive function for architecture. A device like an attraction is only consumed and has much harm, and has no advantage. When it's permitted, it's only the device which can feel nature.

"Thing" is the material.Structure and the material have some kind of meanings all in one bodyThe act which ends in only operation in the surface and ignores the contents, is nothing of the insult for the material.

The material has not been born as the means of the architect's expression. The plaster is never white. The countless color mixes and just looks white in our eye by chance. Also they never wish it is painted on board.

Ms,Hatsume Sato of "the Ischia of a forest" supervision who passed away the other day had talked about like this by a certain interview.

"The way of the cooking will change,  we catch whether the foodstuff  is "thing" or "life".But if we think them only "thing",we will feel like that it should be boiled and be baked, if we think them "life",we will think how they will be kept alive."

" Person" is all people concerned with architecture as well as the client. Isn't the interest suitable for only a client? The excellent architecture's what brings happiness to all the people who were involved in it. Don't you sacrifice anyone to satisfy the desire? We have to make the catchball of the heart all people for it. I wish Archtecturing will become a fun game.

ぜんぶ手でつくる 26


「キャッチボール」




キャッチボールは実に複雑で人間的な行為だ。相手との距離や技量を推し量り受け取りやすい球を投げる。そこには無意識、無自覚に想像力と相手への配慮が潜んでいる。また受ける側も無意識に相手のそれらを感じ取る。

人生というゲームでも心のキャッチボールは基本だ。それは人ばかりでなく「もの」や「こと」にも及ぶ。そんな場合に芸術やものづくりが生まれたりする。キャッチボールが下手な選手からはファインプレーも生まないし、名選手にもなれない。

建築士という仕事を選んだ時にはあまり深く考えてはいなかった。建築は「ひと」「もの」「こと」を相手にキャッチボールをしながら作り上げていく仕事だ。ひとつでもバランスが崩れると歪みや不満、不幸が生まれる。それは一家族の人生や地球環境をも狂わすほどの大きな責任を負っている。

今回、「もの」を売ることを考えたとき、私の中でこのバランスが崩れた。いつもそれらを同時に考えている私にとって、それはかなりイレギュラーな状態だ。未だに糸口が見ずにいる。「もの」を売ることを否定しているのではなく、私なりの方法がないか模索をしている。ただ今思いつく方法はどうしても本業が犠牲になってしまう。


今日も海外から依頼のメールが来た。私の模索はしばらく続きそうだ。





"Catchball"



Catchball is the act that it is really complicated, and is human. We throw the ball which we guess distance and the ability with the partner and am easy to receive. An imagination and consideration  to a partner hide behind there with unconscious and unconsciously. In addition, the side to receive takes in them of the partner unconsciously.

Catchball of the mind in the game of life is a basic. It is not only person also extends to "thing" and "fact" Art and manufacturing are born there, Blinder is to not produce from poor players catch the ball and they can't be a star player, either.

When I chose the work of architect, I did not think so deeply like today,but did not have imaged that it was the work that it was so deep, and was interesting. This is because the architecture is not completed if I do not play this catchball against a"person" " thing" "fact" in a good balance at the same time. If balance collapses in even one, this is because a distortion and dissatisfaction,misfortune are born somewhere. It is a great responsibility enough to affect on a family of life and the global environment.

When I thought that I try to sell "a thing" this time, a balance of "person" "thing" " fact" collapsed in me. That's in the quite irregular state for me who always consider the 3 at the same time. I cannot see absolution yet. I don't deny to sell "thing". I am groping for whether there is not my own way.The way I come up with make sacrifice absolutely a main profession.



The email of the request came to me today too. My grope seems to continue for a while.