2015/08/19

ぜんぶ手でつくる 15



新国立競技場から住宅まで



先日、ゼネコンと設計事務所の共同体の指名コンペで決めることが発表されました。私はもう一度ザハにやらせるべきだと思います。今度はプログラムを作る段階から彼女を参加させるべきです。その方がシドニーのオペラハウスとまではいいませんが、何の面白みのない無難な建築よりはよほど良いと思います。一部の建築家からは工事費に関して無頓着な意見も聞こえます。もしそれを言い続ければ、これからの日本に建築家の存在感はほとんど無くなってしまうでしょう。残念ながら、今の日本はそれほど若い国では無くなってしまいました。出来るかぎり安価で予算の中で最大のパフォーマンスをすることでしか私たちのプレゼンスは維持できない時代になりました。

私が作り続けている住宅でも同じことです。今どき予算オーバーを簡単に受け入れるクライアントにお目にかかったことはありません。住宅の場合、規模や構造、機能などプログラムの設定の段階で精度を高めているので調整不可能なほどオーバーすることはありません。ただこのスキルは建築家によってばらつきがあるために、予算オーバーは頻繁に起こります。これは住宅だろうが新国立競技場だろうが同じです。安藤さんのように「こんな大きいもの作ったことないからいくらかかるか分からへん。」では、我々が許しても今の国民は許してくれないでしょう。彼のようにこのスキルに対する私たちの感覚は、今の日本ではかなり前時代的なのです。

バブル期以降の建築家の仕事は、インパクトのあるアイコン的建築を作ることに傾倒している。その一方でプロジェクト全体の建築家のプレゼンスは低下するばかりで、今ではかなり表面的なデザインのみに追いやられている。多くのプロジェクトの主役はすでにゼネコンに変わってしまっている。

我々、住宅を主戦場とする市井の建築家も状況は同じ。工事費、施工、メンテナンスで工務店にかなりのシワ寄せが来ている。私たち建築家はこれ以上、工務店に負担をかけていいのか。このまま進むとお互い共倒れになりそうだ。勝者は結局大手のハウスメーカーになるのではないかと危惧している。


これからの建築家は、作るという最も大切で責任の重い仕事から逃げずに引き受ける覚悟が必要ではないでしょうか。私のように請負うべきといっているのではありません。工務店がもっと作ることに専念できるように建築家がもっと仕事をしてほしいのです。それには建築家が設計の段階から自ら施工図を描き、設計書(見積)を作らなければなりません。工務店に発注する時は、その設計書を基本に見積れば、施工の方法や材料、メンテナンスのことまで精度の高い現場になります。そういう積み重ねが信頼を生み建築家全体の社会的価値も上がり共倒れの可能性も少なくなると思います。

今回の問題は対岸の火事ではなく、直接、我々市井の建築家の問題でもあります。このまま何もせずにいればプレゼンスは低下する一方です。誰も助けてはくれません。これは建築家自身が覚悟を決めるしか方法はないと思います。


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