2015/08/31

ぜんぶ手でつくる  19







エゴイスティックな存在




今、エンブレムのコピー問題が話題になっている。

建築には、先人が作り出してきた数多くの様式がある。日本にも竪穴式住居から始まり、法隆寺に代表されるような飛鳥様式を経て、近世には桂離宮などの数寄屋造り、茶室では待庵などが生まれた。クライアントから和風の建築を求められれば、それらをなぞることは避けられないし、また、私自身も過去に何度も好きな建築家のコピーを試みた。

そこで出した結論は、「やっぱりコピーは出来ない。」。

建築には、イメージを数字に置き換えるディティールという仕事がある。それは理性的で情緒的なものだ。奥深くに潜む「エゴイスティックな存在」に仕事をさせることだ。彼が創り出すものは一見コピーのように見えても、独特の空気感を生み出す。視覚的要素だけでなくそれ以外の要素が確実に存在する。でも、その彼に仕事をさせられない人は何をやってもコピーになってしまう。

グラフィックでも同じ。見た目にはよく似ていても彼を感じられれば全く問題ない。また、そうであれば騒動も自然と消えていく。消えないとすれば、そういうものではなったということだ。前回の亀倉山のエンブレムはまさしく日の丸そのものだったから。

2015/08/28

ぜんぶ手でつくる 18



家づくりに大切なこと




「豊かさは、自然との関係の中から生まれる」


自然とは人間が作ったもの以外のこと。人は自然によってのみ真の豊かさを感じる。その意味で建築家の仕事とは、人と自然との関係をデザインすることだと思う。それは陽光や通風だったり素材だったりする。それらのを組み合わせて交響曲のように作り上げていくのが建築だ。また、一方で建築は災害から人命を守り、安全と安心を確保しなければならない。

自然との向き合い方で建築の有り様は全く異なったものになる。コントロールしやすく便利さと快適性?を求めればハウスメーカーの家になるし、より自然との共生を望めば、いにしえの古民家のようにもなる。その間には無数の選択肢があり、その仕方がそのまま建築の個性になる。

建築家が提案しがちな恣意的なデザインや派手な演出は、永く日常を共にする住宅には重要なことではない。かえって煩わしくなることもある。ついつい目立つところに関心が集中しがちだが、それよりも自然とどのように関っていくかを十分に考えておく事が大切だ。

他に大切なことは2つある。ひとつは子育てをするということ。もうひとつは老後も生活をするということ。

住宅は人間性を育む場である。快適さを追求するあまり、汚くなれば張替えたり、塗替えたり出来る何でも思う通りになる住宅が子育てに良いとは思わない。自然と関る機会の多い住宅を作りたい。きっとその住宅からは自然の美しさや不合理を感じながら寛容な情緒が育まれることだろう。


また、体力も減り収入も少なくなる老後をイメージすることは重要だ。住宅も老朽化し、メンテナンスの機会が増えストレスも増える。出来ればもう少し老後に軸足をおいた住宅にしたい。







The important thing for the making house



"Richness is born from relations with nature"

Nature is without the one man-made. People will feel the real richness by natural there.So the most important work of the architect is to design the relationship between human and nature. They are sunlight and ventilation, and material such as touching it directly. It is architecture that build up as a symphony by a combination of these elements.

While architecture to protect the human life from the disaster, it takes a mission to ensure the safety and peace of mind. In this way the presence of architecture depending on how facing the diverse nature, will be different at all. If we ask control easy high convenience and comfort housing, inevitably will have a choice of house of the house maker, if we wish to coexist with the more natural, it comes to choosing the old house in ancient. In meanwhile there are innumerable choices, and the way will just become the personality of architecture.

There are 2 important things.One is the fact that the child-rearing. The another fact that old age is also to live .


The house is a place that the human nature is brought up. People pursue comfortableness, I don't think the housing it'll be is good for child rearing as I think of everything which can be repapered, repainted and done when becoming too dirty.I want to make a house more opportunities involved with nature. Surely it will be that tolerant emotion is brought up while feeling beauty and irrationality of nature from the house.


In addition, it is important to image the old age  when physical strength and an income decreaseA house is also aging, more opportunities of maintenance, stress also increase. I prefer to make a house is considered the old age a little more.

2015/08/27

ぜんぶ手でつくる 17




「普 通」




「見たことのない普通のたてものをもとめて」

この言葉をHPのトップに使うようになって20年以上になる。

「普通」

この言葉の意味は人の数だけある。今まではあえて言及しないことで矮小化を避けてきた。しかし、私の建築を理解する一助になればと思い書くことにした。

Wikiで調べてみると「特筆すべき属性を持たない状態」、「人並み」、「平凡」などと書かれてある。これらの共通する概念が「他」。一方、私が常に求めているものは「普遍」。これは「自」という概念が中心に来る。これは「他」と対極に当たるように思える。

でも、「生」と「死」のように表裏一体に思えてならない。人は「他」を排除して生きていけない。社会のなかで常に「他」と「自」が入れ替わりながら生きている。「自」の中に「他」を見出し、「他」の中に「自」を見出していくことが「自分を生きる」ということだと思う

仮に人間が「普遍」というものを創り出せるとしたら「普通」の中に見出していくべきだ。そこから距離をおいてはいけない。

「死」を感じない「生」に魅力がないように「普通」を感じない「普遍」には魅力がない。

2015/08/26

ぜんぶ手でつくる 16



好きな仲間と好きな建築を







心理学では「人は相手の無意識に反応する。」ということがよく知られている。無意識で行なう行為と他に別の目的があって行なう行為では同じように見えて受ける印象は全く異なる。

私の場合であれば、「人は作り手の無意識に反応する」。

作り手の思いが、ものを通して伝わることがある。いわば目に見えない暗黙のルールのようなもの。人と人、人とものとが接する時、必ずその枠組みの中で意味を共有しものごとを理解する。建築でも大切なのは機能やデザインよりもこの枠組みだ。


建築の印象は機能やデザインとこのような非知覚メッセージによって形作られている。私の知る範囲では現代の建築家のほとんどは前者のみに重きをおいている。過去には後者に重きをおいた建築家がたくさんいた。例えば、ルイス・カーン、ルイス・バラガン、アスプルンド、晩年のル・コルビジェなど。現役ではピーター・ズントーのほか数人でしょう。

昨今の現代建築はそれがどんなに素晴らしいデザインや機能であってもそのワクワク感は初めだけで、建築家の意図やコンセプトを理解してしまうとそこにいるモチベーションが急に下がってしまう。その中でも流行の建築家ほどその傾向が強く感じられた。一方、新奇性や派手なデザインなど全くない古寺名刹などは初めの高揚感はないものの、次第に居心地の良さや安らぎを感じてくる経験をよくした。私はこの違いに長く悩まされた。
人やものから受ける感覚や感情がどのように生まれるのかをもう一度考え直してみた。

結局はデザインや形態など目に見える部分をいくらなぞっても意味がなく、作り手の思いや生き方が、ものを通してにじみ出てしまうことだ。


だから作り手は、楽しく無我夢中になれるような仕事をすべきだ。またそういう環境を自分で作らなければならない。それは、まず前提としてクライアントからの信頼を獲ること。そして、その次に



「好きな仲間と好きな建築を自由に作ること」




これが出来て初めて建築は生きてくるのだと思う。これからもそういう家づくりをしていこうと強い思いでいる。




2015/08/24

ビフォー・アフター

一昨年竣工した「高橋町の家(改修)」の外壁が良い感じになって来たので外観のみですが、写真を撮ってきました。後日、ワークにアップしますがビフォーアフターで少しだけ紹介します。
































 



































2015/08/22

一枚板を買いました。


先日、宮島くんに紹介してもらった岐南のヤマガタヤさんにお願いしておいた板を見に行って来ました。奥が城西の家で使う予定だったセン、次と手前が次の現場で使う予定のクリ。結局、キッチンのカウンターに使う予定の真ん中のクリの板だけを購入しました。理由は奥のセンは乾燥がいまいち。手前のクリは中央に芯があって将来かなり割れる可能性が高いのでボツ。やっぱり安いのにはそれなりの理由があります。





こんな感じでボクの愛車、スバルサンバーに積み込み。




雨模様だったのでこんな感じでいざ出発!

2015/08/19

ぜんぶ手でつくる 15



新国立競技場から住宅まで



先日、ゼネコンと設計事務所の共同体の指名コンペで決めることが発表されました。私はもう一度ザハにやらせるべきだと思います。今度はプログラムを作る段階から彼女を参加させるべきです。その方がシドニーのオペラハウスとまではいいませんが、何の面白みのない無難な建築よりはよほど良いと思います。一部の建築家からは工事費に関して無頓着な意見も聞こえます。もしそれを言い続ければ、これからの日本に建築家の存在感はほとんど無くなってしまうでしょう。残念ながら、今の日本はそれほど若い国では無くなってしまいました。出来るかぎり安価で予算の中で最大のパフォーマンスをすることでしか私たちのプレゼンスは維持できない時代になりました。

私が作り続けている住宅でも同じことです。今どき予算オーバーを簡単に受け入れるクライアントにお目にかかったことはありません。住宅の場合、規模や構造、機能などプログラムの設定の段階で精度を高めているので調整不可能なほどオーバーすることはありません。ただこのスキルは建築家によってばらつきがあるために、予算オーバーは頻繁に起こります。これは住宅だろうが新国立競技場だろうが同じです。安藤さんのように「こんな大きいもの作ったことないからいくらかかるか分からへん。」では、我々が許しても今の国民は許してくれないでしょう。彼のようにこのスキルに対する私たちの感覚は、今の日本ではかなり前時代的なのです。

バブル期以降の建築家の仕事は、インパクトのあるアイコン的建築を作ることに傾倒している。その一方でプロジェクト全体の建築家のプレゼンスは低下するばかりで、今ではかなり表面的なデザインのみに追いやられている。多くのプロジェクトの主役はすでにゼネコンに変わってしまっている。

我々、住宅を主戦場とする市井の建築家も状況は同じ。工事費、施工、メンテナンスで工務店にかなりのシワ寄せが来ている。私たち建築家はこれ以上、工務店に負担をかけていいのか。このまま進むとお互い共倒れになりそうだ。勝者は結局大手のハウスメーカーになるのではないかと危惧している。


これからの建築家は、作るという最も大切で責任の重い仕事から逃げずに引き受ける覚悟が必要ではないでしょうか。私のように請負うべきといっているのではありません。工務店がもっと作ることに専念できるように建築家がもっと仕事をしてほしいのです。それには建築家が設計の段階から自ら施工図を描き、設計書(見積)を作らなければなりません。工務店に発注する時は、その設計書を基本に見積れば、施工の方法や材料、メンテナンスのことまで精度の高い現場になります。そういう積み重ねが信頼を生み建築家全体の社会的価値も上がり共倒れの可能性も少なくなると思います。

今回の問題は対岸の火事ではなく、直接、我々市井の建築家の問題でもあります。このまま何もせずにいればプレゼンスは低下する一方です。誰も助けてはくれません。これは建築家自身が覚悟を決めるしか方法はないと思います。


2015/08/18

ぜんぶ手でつくる 14




私がなかなか契約をしない訳



私はなかなか設計契約をしません。というよりも出来ません。もちろん早く契約したいのは山々ですが、建築を作ることには自信がありますが人を見る目はありません。

私は自分が設計したものは自分で請負って作っています。何ひとつ他人に責任を押し付けられません。しかも一生のお付き合いになります。失敗は許されません。だから慎重にならざるを得ないのです。

相談を受けてすぐに予算計画書を作ります。それに基づき規模や構造など基本的なことを決め、要望に沿って基本設計を進めます。メールなどで数回、多い時は数十回の情報交換の後に一案だけ提案します。その後、それを元に精度を高め承認を得た段階までが基本設計です。ここまでは契約をせずに無償で仕事をします。ここで仕事がキャンセルになったとしても対価を頂くことはありません。これは別にサービスでやっているわけではありません。

基本設計の期間はお互いの夢を摺り合わせる期間であり、信頼関係を築く期間でもあります。万が一縁なくそれが出来なくなることだってあります。その場合の選択肢をお互い失くさないためにも基本設計の期間は契約をせずに無償で行なうようにしています。

クライアントは作ってしまえばローンを抱えながらその家と一生付き合わなければなりません。ベターな選択を促す責任は我々建築士にあります。また、その見識もクライアントよりは数段勝っているはずです。その判断をする期間が基本設計ということです。

幸いなことに最近は基本設計だけになってしまうことはほとんど無くなりました。また、築後の問題もなく、決して一筋縄ではいかない住宅を皆さん本当にかわいがって頂きクライアントには大変感謝しています。

ぜんぶ手でつくる 13



志を合わせること



最近話題に上っているデザイナーの問題は無関心ではいられない問題です。今回の問題は真似したかどうかという問題もさることながら、佐野さんがアシスタントの作品をチェックしたかどうかも問題になっています。

そこで私は、
「エッ!ちょっと待って。その前に佐野さんが作ったんじゃないの?。」
「いつからアシスタントが作るということが当然のようになってるの?。」
「クライアントは知っているの?。」

私たちの業界でも多くの著名な建築家も同じような仕事の仕方なので以前はこんな疑問をいつも抱えていました。でも、考えてみたらそんなことはどうでも良いことで他人がとやかく言うことではないのです。依頼する側と依頼される側の目的と志が一致していればいいのです。でも、それらを一致させることがクリエイティブ仕事よりもずっと難しかったりします。とにかく自分をよく知り、かつ強い信念を持たないとかなり難しいことです。仕事のトラブルの原因の多くは、この部分の擦り合わせを疎かにして結果だけを早急に求めるために起こることが多いと思います。

クライアントが企業である場合は、目的がハッキリしていることが多く、私たち個人事務所のそれとが一致しないことも往々にしてあります。例えば私の場合であれば、効率だけを目的とした工場や流行の派手な店舗デザインは私がやるべき仕事ではありませんし、私が得意とするところでもありません。また、それはクライアントに対しても自分自身に対しても誠実な態度ではありません。この選択を誤ると仕事の内容が思っても見ない方向へと進み後戻りできなくなってしまいます。次第に仕事の目的が経済的な方向に進み、本来のクリエイティブな仕事が少なくなり、関心も薄くなってきます。そして、仕事の詳細についての理解や認識が甘くなり今回の佐野さんのような問題を引き起こす可能性も高くなります。

とにかく大切なことは自分をよく知ることです。好きなこと、得意なこと、そしてそれらを成し遂げる能力。それらを充分に理解した上で仕事に関る全ての人たちと目的や志を積極的に共有することです。そして、それらを仕事の基礎としなければなりません。もし、それらがなければその仕事は砂の上に建つ楼閣のようなものです。

私は仕事を選びません。但しこの基礎が作れるかどうかです。私の仕事に住宅が多いのはこの基礎が作りやすいからです。



夏休み 16日







































翌日は娘たち二人で海水浴のところうちら夫婦も急きょ便乗。子供の頃よく行った幡豆の宮崎海岸に行きました。今は両親もいませんが、50年後娘たちとまた来るとは思っても見ませんでした。また何十年後、私たちはもういないかもしれませんが娘も子供を連れて訪れるかもしれないと思うと少し感傷に浸ってしまいました。

大人4人の家族での海水浴も珍しいとは思いますが、私にとって残り少ない機会を大切にしようと思っています。




帰りは西尾にあるいつもの黄金屋さんでいつものかき氷を食べて帰りました。


夏休み 14日と15日


初日はホキ美術館に直行。東京まで来てもなかなか機会に恵まれず、今回長年の思いを実現しました。対象を捉える感覚、感性が建築と重なる部分がとても多い写実絵画を鑑賞することは、改めて自らを検証する良い機会です。この美術館は作家の比較が出来るので本当におもしろいです。それぞれの作品を比較することで技量はもちろんのこと見えない部分も容易に感じることができました。建築は期待していなかったので特に感想はありません。





ホキ美術館を後にアクアライン経由で東京に向かいました。娘たちのリクエストで海ほたるに1時間ほど立ち寄りました。





その日の夕食はまた娘たちのリクエストで中目黒にある芸能人がよく行く焼肉屋「大阪焼肉ホルモン ふたご 中目黒別館」に行きました。はみ出しカルビ。これが結構人気メニューらしい。意外に安くておいしかった。





宿泊はホテルオークラ東京です。ご存知のようにこの本館は今月をもって閉館。最後の勇姿を拝みに来ました。意外にもパッケージプランがありお安く宿泊できました。見せかけの豪華さではなく滲み出るような気品が感じられる建築です。こういう気品はデザインで生まれるものではなく、建築家の品性が空間に滲み出ているものだと思います。
こういう品性はなかなか真似は難しく持って生まれたものなのです。品のない顔で済みません。






プランもいたってシンプルで奇をてらったものも全くなく簡単そうで難しい建築であることはすぐに理解できました。新しくできる本館も同じインテリアで作るそうですが、建築家の品性は真似ようがないので期待はしていません。





次の日は東京オペラシティーで行なわれている写真家鈴木理策さんの展覧会に行って来ました。彼の写真に対する思いは私の建築に対する思いと共通する部分が多く、以下の彼の言葉はそれをよく語っていると思います。


「カメラを動かしたりすると、これを入れたな、などということが画面にあらわれてしまうので、動かさない。こねくりまわさない。写真的な構図を考えない。考えないことを考えているんですよ(笑)。私の写真はこう撮りたいというよりは、写ってしまったという写真ですよね。言い換えれば、写真を撮ることは自分の外にあるものを引き受けるということだと思っています。」

これを私なりの言葉に代えると
素材に手を入れすぎたりすると、デザインしたな、などということが空間にあらわれてしまうので、作らない。こねくりまわさない。建築的な構図を考えない。考えないことを考えているんですよ(笑)。私の建築はこう作りたいというよりは、作ってしまったという建築ですよね。言い換えれば、建築を作ることは自分の外にあるものを引き受けるということだと思っています。」

また彼はこうも言っています。
「僕が「こう見た」ということより、世界が「こうあった」というのを撮りたい。それによって、「俺はこう撮りました!」という「写真のための写真」とは違う、むしろ自分が見損ねた世界を感じ取れるんじゃないか、そんな風に思っています。だから自分がそこにいた証とかではなく、むしろ今もこの風景はあそこにあるのだろうな……と思いを馳せることもあります。(略)じっくり構図を決めて、シャッターチャンスを待って……だと、写真は「整って」きちゃう。写真を見てくれる人とのコミュニケーションも、その部分に終始してしまいます。見どころが決まってしまう、というのかな。」

これも私なりにいいかえると

「僕が「こう作った」ということより、建築は「こうなる」というのを作りたい。それによって、「俺はこう作りました!」という「建築のための建築」とは違う、むしろ自分が見損ねた世界を感じ取れるんじゃないか、そんな風に思っています。だから自分がイメージした証とかではなく、むしろ今もこの建築はあそこにあるのだろうな……と思いを馳せることもあります。(略)じっくりデザインを決めて、イメージの通り……だと、建築は「整って」きちゃう。建築に住まう人とのコミュニケーションも、その部分に終始してしまいます。見どころが決まってしまう、というのかな。」




そのあとは現代美術館でやっているオスカーニーマイヤー展に行って来ました。写真の模型でも分かるように主催者の意気込みが伝わる展覧会でした。


実はニーマイヤー展の前に安藤さんの表参道ヒルズで家族と待ち合わせしました。見たくなかったのですが見てしまいました。歩道を歩きながらこのアルミサッシをどれだけ見せられるのだろうと思い腹が立ってきました。また上部の打放しもプラスチックのようで哀しくなりました。学生の時、ここに建っていた同潤会アパートの前をよく歩きました。あの風景が本当に恋しくなりました。あまり近寄りたくなかったのですが、予想していた気分になりました。








このあと帰路につきました。








2015/08/13

ぜんぶ手でつくる 12



予算のこと





予算の問題で建築家に依頼することをためらう人が多いと聞きます。確かに設計料など他では必要のない費用まで増えてしまうので当然だと思います。

でも少し考えてみてください。建築の予算のおおよそはその規模で決まってしまうのをご存知ですか。初めから家族は ⃝人家族だから ⃝坪必要とか初めから決めつけていませんか。家づくりはこれから家族が幸せに生活していくために大切なことを順番に決めていく作業です。もちろん広さが最優先という人もいるでしょう。でも、そういう人でも我々の話を聞いて順番が変わることだってあります。実際、私は今まで平均6〜7坪/人くらいで住宅を作ってきました。4人家族であれば24坪〜28坪くらいの家です。少し狭いように感じられるかもしれませんがそれにはもちろん意味があります。

住宅が最も広さを必要とする時期は子供が思春期を迎える少し手前の時期から高校を卒業する時期までです。その期間は子供の年齢差を考えても10年から15年くらいです。
35歳の時に建てておおよそ50年住むとすれば、7〜8割の期間はそれほど広さを必要としません。ましてやリタイヤ後の20〜30年はリフォームや修理費用がそれまで以上にかさみ、収入の少ない老夫婦には精神的にも金銭的にも住宅がストレスになってしまうようなことは頻繁に起こっています。それを避けるためにも出来るかぎりコンパクトな住宅をお勧めしています。その分、質を高めることで住宅にかける生涯費用を抑えることもできます。

しかし、それでは子育て中の問題が解決できません。そこで私が提案しているのは、庭でもベランダでも良いのそこにプレファブの物置を置いて子育て中に増えるものを一時非難させることです。そうすれば子育てが終わった頃には、その物置もちょうど寿命になる頃でものと一緒に処分してしまえば再び庭も広く使えます。

広さの問題だけでもこんな考え方もあります。他の問題でもいろいろな考え方があります。それらを上手く整理できれば限られた予算の中で想像以上のものができる可能性はあります。ためらわずに一度勇気を出して建築家に相談してみるのもそれほど無駄ではないと思います。

これは子育てが終わろうとしている私の今の思いですが、子育て中は大変でその幸せを味わっている時間はなかなかありません。しかし、その時期を含め家族という単位はそれほど長くはありません。そのために豊かで幸せな人生になるように数少ない家づくりのチャンスを大切にしてください。


2015/08/11

ぜんぶ手でつくる 11




やる気スイッチ




職人と仕事をして最も難しいことは責任を持たせることです。前例にない私の仕事は特に職人にも相応の自覚を求めます。もちろん言葉で伝えて生まれるほど容易いものでもなく、かといって金銭の問題でもありません。

現場はチームワークです。ひとり無責任な職人がいることでそれが伝染し現場が荒れます。もちろんそういう職人と仕事をしなければいいのですが、腕の善し悪しには差があるものの気持ちの問題は、往々にして設計士や工務店の方に問題があることがい多いのです。したがって、腕のいい職人も現場の状況如何では期待以上にもなるし、以下にもなります。

当初は熱意さえあればと思い現場でいっしょになって働き、態度と言葉で責任感を持たせようとしました。しかし、私が現場で働けば働くほど職人は私に頼り自分で考えて仕事をしなくなりました。それで少し現場から距離を置きました。するとやり直しが増える一方でした。そして、すべての試みは失敗に終りました。

そんな八方ふさがりの状況の時にふと目にした言葉が、

最も責任ある行動は、やりたいことをやることだ」  


これだと思いました。漠然とした思いが再確認でき、自信を持つことがでた瞬間でした。「相手に求めるのではなくてまず最初に自分が楽しむこと、ワクワクすることなんだ」と。それでダメならその時考えよっと開き直れました。


それ以降は相談を受けた時から「この仕事をどう楽しもうか」ということを最優先に考えるようにしました。もちろん楽しくない仕事も当然ありますが、楽しいことが待っていると思うとそういう仕事も自然と難なくこなすことができます。私が楽しむことでスタッフにも伝染し、いろいろなことが好循環し始めました。現場では職人からの提案も増え無駄のないコミュニケーションが円滑にできるようになりました。ただこれも楽しんでいれば言い訳ではなく、工期、予算、図面、施工などの問題をクリアしていることが前提になることを忘れてはいけません。

ぜんぶ手でつくる 10


私が施工をするようになった理由





私が本格的に建設業の許可を取得し、工事を請負うようになったのは平成15年からでした。当初は普通に工務店に依頼していました。しかし、すぐに限界を感じました。それは現場の職人と本音の打合せができないことでした。職人の発する言葉が工務店の意向に添わなかったり、直接工務店に不利益を及ぼすこともありえるからです。

クライアントとの信頼関係をどんなに大切にしても、職人との信頼関係がなければ台無しになってしまうことは自明でありました。前例のない私の仕事は、責任の所在を明確にしなければクライアントからの信頼も得られなかったのです。


当然、工務店も前例のないものは避けようとするし、ごり押ししても結局は誰も得をしません。それから工務店に依頼せずに直接職人に依頼する分離発注をしました。しかし、これも責任の所在がわかり難いという点であまり長続きはしませんでした。


もうこれ以上逃げられないことは自分でも分かっていました。自ら工務店となって自分が設計したものは自分で作るということに腹をくくったのです。もう誰のせいにも出来なくなりました。

しかし、このことは当初私が想像していた以上のことを私にもたらしてくれました。あらゆるリスクは自分が背負わなくてはいけなくなったので、今まで以上により深く広く建築のことを知る必要に迫られたのです。予算のこと、工期のこと、施工のこと、納まりのこと、図面の書き方、職人のこと、メンテナンスのこと。これらはすべて関連していて、ひとつでも劣っていれば堤防が決壊するようにプロジェクト全体に影響します。


恥ずかしながら40歳になる少し前から座学では分からない建築を1から勉強し直しました。そうしてもうすでに13年になりますが、この歳になって建築のことが最近少し分かるようになってきた気がします。自分が作りたいと思うものを予算、工期、施工、機能、メンテナンスのことなど過不足なく自由に考えられるようになりました。以前のような思ったようにできないのではないかという不安は無くなりました。


ただ今は自分ができる範囲のものしか考えられなくなるのではないかという不安はあります。今後は好奇心と持って生まれた乏しい才能に期待するしかありません。(哀)



















2015/08/10

23歳の誕生日


今日は長女詩乃の23歳の誕生日。


あと何回家族で祝ってあげられるか


少しずつ気になってきた親父であります。

藤本壮介講演会


昨日、長久手の淑徳大学で行なわた建築家藤本壮介の講演会に行って来ました。

彼は今、世界で最も期待されている日本人建築家です。

聴講者はほとんどが学生で

平均年齢を上げているのは、

ほんの少し教授と思われる人と私のような建築関係者でした。

意外だったのは同業者の少なかったことです。




率直な感想は話が大変分かりやすかったことと、

彼の誠実な人柄のおかげでしょうか大変心地よい気分で帰路につけたことです。




難しい理論はほとんどありませんでした。

そして、設計を始める初期のイメージは

誰でもが思いつきそうなシンプルなものでした。

実はそこからが彼の非凡なところです。

いくらコンセプトやイメージが優れていても

普通は建築という現実の前に妥協を繰り返し、

結果はかなり残念なものになってしまうものです。


しかし、イメージの豊かさと実現に向けての手法の多彩さで

それを克服しているような気がします。

それは彼自身の粘り強さはもちろんですが、

周りのスタッフの優秀さを抜きにしては考えられないでしょう。



私は彼の建築をそれほど見ていませんが、

私個人が残念に思うのはディティールの甘さです。

私は建築の時間軸を支えるのはディティールだと思っています。

しかし、彼は違うようです。


彼は建築全体のイメージを大切にし、

それを崩さないものであればディティールや素材にはこだわりはないように思いました。

実際、白という色についての質問を受けた時にも

塗り直すことに全く抵抗は無いようで

素材自身についての言及もありませんでした。


彼にとっての建築というのは、

時とともに味わいを増していくものというよりは

その瞬間瞬間の体験が大切なのだと感じました。

私には何か建築というよりも「装置」に近いと感じました。

彼独特のファンタジーの世界から生まれる

イメージからできたアトラクションのようです。

それが機能的で楽しいものであれば、それはまぎれもなく建築なのでしょう。



現に彼はハイゼンベルクの不確定性原理の話をし、

もの(素材)の実存について懐疑的な思考の一端を話してくれました。



それは建築を実存するものとして捉え、

人の営みの中から情緒を育もうとする私の建築と

建築をイメージと捉え体験を大切にする彼の建築とでは

その立ち位置は全く異なっています。



おそらく彼の建築は出来た瞬間に完成しているのでしょう。

また、経年変化したとしてもいつでもリニューアル出来きます。


しかし、私には完成型のイメージがありません。

いつが完成かも分かりません。

このことが私の建築の最大の長所でもあり短所でもあります。



私はこのことにいつも悩まされています。

それは完成型のイメージを共有することが難しいからです。

私の建築をパースで表現しても

実に単純で物足りなくどこか既視感のあるものになってしまいます。

私が建築をパースや写真で表現することに抵抗があるのはこのためです。

この壁を乗り越える手段はおそらくありません

だからコンペなどが私の主戦場になることは今後もないと思います。


かたや彼はパースなどでかなり正確にイメージの共有が出来きます。

実際に彼のパースを見ると実にワクワクします。

それは素材や時間をそれに入れる必要がないからでしょう。

彼の建築の最大の長所でもあります。



また、今回彼の講演を聴いて改めて自分の立ち位置を確認でき、

今後も与えられた仕事を命懸けでやるしかないことを再認した聴講になりました。



また、彼の素晴らしい人柄、プロジェクトやその作られ方の分かりやすさを垣間見れて

やはり彼はなるべくして世界的な建築家になったのだと思いました。
































2015/08/07

安保法案と自分の中の敵

安保法案の必要性の賛否の違いは、詰まるところ前提となる他国の凶暴性に対する警戒心や恐怖心の強さの違いだと思います。その違いはどこから生まれるかといえば、やはり本人が持つ凶暴性の違いだと思います。凶暴性は動物、特に雄にとって自らの種を守るために欠くことのできない本能のようなものです。したがって人間も動物である以上その凶暴性を消し去ることはできません。また個々人でかなり違いがあります。だからこの法案は理解するしないの問題ではなく程度の問題なので、いくら議論を尽くしてもその正当性の違いを埋めることは出来ません。しかし、誰もが殺しあうことを望んでいません。そのために人間は自らの「凶暴性」という敵に立ち向かうために神様から「理性」と「知性」という武器を与えられました。今自分の中に存在する敵を改めて見直して見る良い機会ではないでしょうか。

2015/08/06

段板の試作


現在進行中の「城西の家」の螺旋階段の段板の試作が出来上がり、
In constructing now an step of the spiral stairs in "Sironisi  house"  has made up,

現場のアンカーに無事設置。
it has been set up completely.

感動!
Exciting!

スタッフの神谷くんが要所要所でボクと打合せをしながら何十時間も考えた成果です。
It is the result that Kamiya of the staff thought about for dozens of hours while he makes arrangements with me in important points.

本格的な設置は9月に入ってから。
The completion is about September.