2015/07/27

続 • 最近は

そういえば最近しばらく問合せが無いな。

去年の今頃はかなりの相談件数があって

来年できるかなって思って心配してたら

今年は全く逆の心配してる。(笑)

本当に笑ってる場合じゃないんだけど

ボクの場合、予算書を作って

それに基づいて土地もいっしょに探すことが多いから

なかなか縁に恵まれずに設計が始められなかったり、

予算が合わずに没ったりして

こんな時もあるんだな〜と。


気持ちは結構寒いので、

事務所は今年もエアコンなしで頑張っていけそうです。(笑)





でも正直、暑い夏にしたいです。


躊躇されてる方、ふるって御応募じゃなくてご相談ください。






最近は

インターンがいなくなってからあまり更新してなかったから久しぶりです。
最近は9月頃着工予定の住宅のディティールと現場でぼちぼちです。
次回作の窓周りは大方終わり、今日から薪ストーブのディティール。
今回も違うパターンでやります。

前回より少し小ぶりだけどもう少し操作をシンプルにしようと思ってます。
このスケッチは初めの初め。
ここから細かなところに入っていきます。
今は空気の流れを設計中。

薪ストーブを設計する時にこそ ”空気を読む” 才能が生かされる.(笑)

位置は下のプランを参照。
浴室の隣り。




これがプラン。
東谷は真四角だけど今度は真ん丸。
木造荒壁中外オール土壁仕上。
床や天井、垂木は全部栗。
すでに栗の板を8㎥強購入済み。
これ全部床と天井と家具に加工する予定。
現在、乾燥のため釜の中。
アフリカの土壁の家+モンゴルのパオ+日本建築=次回作
竣工は来年3月頃。



2015/07/18

木の螺旋階段



「城西の家」に木の螺旋階段を作る。

通常螺旋階段は中心に柱があってそれに踏み板を設置するのだけれど

今回はその柱の無い踏み段を連結させただけの踏み段自立型のらせん階段にした。


多分ほとんどの人が見たことはないと思う。


その試作の木が今日事務所に来た。

先日、北洋木材の草野くんから買ったモミの木で作った。

この固まりで26kgほどある。

これから左のスチロールのように削り出す。

これを削ってくれるところがこの辺りでしらみつぶしに当たって一軒だけあった。

それが南区の丸石工業株式会社。

こんな小ちゃな仕事を喜んで受けてくれた。

感謝!感謝!


これが12段積上る。


今から想像しただけでワクワクする。


彫刻のような階段になるぞオオオオオオオオ

宮島くんに教えてもらった材木屋



大分死んだ顔してますが、別に疲れてはいません。(笑)

宮島くんに教えてもらった材木屋に早速行ってきた。

在庫の多さとお値打ちさにビックリした。

午後から行って閉店の5時までいた。

やっぱり楽しいな。

2つと同じものがないので

これをどう使おうかなって考えると時間はあっという間に過ぎる。

宮島くんたちだったらここに住みたいぐらいだろうな。


だれでも買えるようなので興味のある人はどうぞ。

ヤマガタヤ産業株式会社 サクラ



2015/07/16

安藤さんの会見を見て

同業者のコメントを読むとかなり安藤さんに同情的なものが多い。
でも、ボクは「お前らアホか!」って言いたい。
今日の会見を聞いた多くの一般の人たちはどう思っただろう。

「あ〜建築家って表面的なデザインをする人で工事費や予算のことはよくわかんなくて、
後は全部建設会社が責任を持つわけね。」

多分、ほとんどの人はそう思ったと思う。
世界のトップアーキテクトの安藤さんがそうだとしたら市井のボクら設計士は
おそらくもっと能力が落ちるだろうと思われるのは至極当然のことだ。

今は普通のことだから仕方ないといえばそれだけのことだが、
建築家がデザインのみで審査することを受け入れること自体、
自ら建築家の職能や地位をおとしめていると思う。

かつて丹下さんが代々木体育館を作った頃の建築家はもっと責任も権限も能力もあった。
また期待されていた。しかし、今は違う。安藤さん然り。
今は建築家自身が放棄している時代だ。

実際、安藤さんだってここ20年ほどは駄作ばかりだ。
彼を理想に建築を学んだボクのとって耐えられない20年だった。
彼のことはもういい。

今回ほど建築家の職能がおとしめられた出来事は姉羽事件以来ではないだろうか。
彼は押しも押されぬトップアーキテクト。
死ぬまで絶対に仕事に困ることはない。
そんな彼を擁護するほどみんな余裕があるのだろうか。
ボクは彼の記者会見を見て、ボクらの仕事の基盤が崩れ落ちている感じがした。
ボクら建築を設計するものは、コンプライアンスとデザインのみに留まらず
より高度な職能と責任を持つことでクライアントを含めた建築全体により深く関れるようになる。
また、今そうしなければ生残っていけない。

かつてのカーンや丹下さんの頃のように。

ボクはひとりでも戦っていきたい。










2015/07/10

ぜんぶ手でつくる 9

9、ディティールでしか出来ないこと。

昨日、著名な若手建築家の完成間際の家を見られるというので久々に他の人の家を見に行って来た。家の感想を話すというより、感謝の意を込めてボクが学んだことを話そうと思う。

 あらためて建築はディティールだと思った。全てはディティールに込められている。プランやエレベーションは人でいえば意識に当たる部分。社会との接点だから誤摩化せるし繕える。施主が納得し社会と上手くやれるのならそれは何でも良い。でも、ディテールは違う。誤摩化すことも繕うこともできない。作り手のすべてがそこに現れてしまう。またそこにしか込められないものもある。とても個人的なことであり神秘的なことでもある。それは建築家の情緒とでも言えるものだ。その中心にあるのは愛だ。女性を口説く時のように繊細で粘り強く丁寧に伝えていく作業だ。実に時間がかかるし根気がいる。また表(誌面)に出難く、実際実物を見ないと評価され難い部分だ。しかし、それを怠ってしまうとその空間は途端に空虚なものになる。建築家がどんな美辞麗句を語ろうとも実物は正直だ。体験に重きをおいた建物はむしろ遊園地のアトラクションに近く、すぐに飽きて退屈になってしまう。おおよそ平凡な日常を支える住宅にしては寿命が短かすぎる。必要なのは仕掛けではなく愛だ。それさえあればより平凡で、より普通であるべきだ。

 平穏から生まれる寛容、そして歓びへと広がる本質的な癒し。そこにこそ建築の無限の可能性が広がっているように思えてならない。ボクは生涯それを求めて建築を作り続けていくだろう。


I went to look at the house that other architect designed yesterday, as it is able to look at the house just before completed of famous young architect. I try to mention what I learned with thanks rather than mentioning my impression of the house.
I thought anew an architecture is just detail. Everything is put in the detail. Plan and elevation is the part of the consciousness in humans. Because it is the point of contact with the society, it is able to deceive and patch. If the client accept and  you can do it well with society, everything is good. But the detail is different. Everything of the architect will appear. There is also a thing put only there.That is also very personal thing and mysterious thing. It can be called even the affectivity of the architect. There is love in the middle.It is the work that we have been putting it delicate and tenaciously carefully as when you seduce a woman. It takes much time really, and it need perseverance. And it is hard to appear on the face"on the magazine" and to be assessed. But  if you are idle that, that becomes soon an empty space. If an architect mentioned the rhetoric, the real is truthfulness. The buildings with emphasis on experience close to the amusement park attraction rather,it become bored and tire quickly. Life span is too short to spend an ordinary daily life. It needs love, not attractions.If there is it, an architecture should be more ordinary and more commonplace.
The tolerant is born from  the calm, and essential healing to spread through the joy.The infinite possibility of the architecture seems to spread through there. I will continue making a building for it throughout the life. I would go continue to make the architecture in search of it life.



2015/07/08

帰国の日



昨日、ジョアンのホストファミリーになってくれた阿部さん家族と事務所のスタッフと阿部さんのお店のスタッフとでフェアウェルパティーをした。今日は空港に行く前にプレゼントを持っていった。そこでの最後のワンショット。半年間はあっという間でした。本当にいい子だったのでかなり寂しいです。思い出すと涙が出ます。ありがとう。

Yesterday, we made a farewell patty with Abe family who have become host family of Joanne and my office staff and Abe's shop staff. Today we went with a gift before going to the airport. Last one shot there. Half years, it was a blink. It is quite lonely because she was really a nice girl. I tear out and remember. Thank you everything. Good Luck!!



2015/07/04

Last discussion of every other day 0704  私と私の仕事について


How do you think you, as an architect, see the world differently from other people?



This question is that I want to ask.  I do not understand oneself well. And  I cannot also compare it objectively.Probably the mind pursuing the universality will be my instinct. So I always ask myself.I in me always give answers. He is not social. Therefore the answer is easy to produce friction with the society. I do it how most of my work reduce the friction. Besides I don't understand well why many architects try to make a cheep architecture of consumption immediately.I think that we demand the connection with eternal life through the work. I can not find my future. But I don't wish myself become famous, only wish my work is known by more people.But It will be also difficult for me not to wish to be evaluated by the biased value standard such as competition and awards. Just I want gone with body and soul even all of the work from now on.




それは私が聞きたい質問です。自分自身のことはよくわからない。客観的に比較もできない。普遍性を求める気持ちはおそらくボクの本能だろう。だからいつも私は自分自身に問う。私の中の私はいつも答えを出してくれる。彼は社会的ではありませ。だからその答えは社会との軋轢を生みやすい。私の仕事の多くはその軋轢を如何に減らすかです。それよりも私は多くの建築家がすぐに消費されてしまうような安っぽい建築を作るのかがよくわかりません。私は仕事というのはどこか永遠の命とつながりを求めるものだと思っています。将来は私自身にも分かりません。私自身が有名になることは望んでいませんが、私の仕事がもっと多くの人たちに知って頂けることを望んでいます。しかし私はコンペや賞など偏った価値基準で評価されることを望んでいないのでそれも難しいでしょう。ただこれからも全ての仕事を全身全霊を込めてやり遂げたいと思っています。




インターシップ生のJoanneは今日で最後の日となりました。
半年間続いたこのディスカッションも今日で最後です。
少しでも彼女にとってよい勉強になればと思い続けてきましたが、
私自身もあらためて自分を振り返るいい機会になりました。
Joanne半年間ありがとう。
ご苦労さまでした。