2014/04/12

建築が大好きでいたい

「君の建築はよくわからない」とよく言われる。

それは専門家であればあるほど、著名であればあるほど。

それはなぜか。

僕がブランドに全く興味がないことと、アイコン建築を作らないから。



地位や名誉やお金を得るための道具ではなく、

ただ一生建築が大好きでいたいだけ。

2 件のコメント:

  1. 初めまして。
    先生の文章の裏を返すと、著名な方は地位や名誉やお金の為に建築を作っているととれますが、
    先生は、なぜそのように思われるのでしょうか?作品を見た感想ですか?著名な方が実際にそう言われているのですか?
    私は、先生がそう思われることが失礼だとは思っている訳ではなく、あまり縁の無い世界なので素朴に疑問なのです。

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  2. はじめまして。
    まず始めに私の意見が常識とか正しいということを言っているのではないということを前提にお聞きください。安藤さんに限っては、彼が若い頃講演などで否定や嫌悪していた巨匠の仕事ぶりや生き方を
    現在の彼はそのまま体現しているので残念に思っているところが大きいです。

    建築家はすべからく建築で評価されるべきです。もちろんここ20年近くの彼の仕事を見ての感想です。
    経済界の評価と建築界、特に若い世代の評価は反比例するようです。建築家の仕事というのは社会のニーズに応えることだけではありません。ガウディがサグラダファミリア教会を作ったように、コルビジェがロンシャンを作ったように、ミースが鉄のスカイスクレーパーを作ったようにその時代の価値観とは全く違う新機軸、新しい価値を提案したり、その国その地域の特徴を生かした独自の提案をすることが建築家にとって最も尊い仕事だと思います。

    安藤自身も若いころ強くそれを主張していました。仕事が大きくなるにつれ、「コンクリート打放しの安藤」という看板が、彼自身を縛るようになり、事務所も会社となり自分の意思ではもうその看板を下ろせなくなってしまいました。(それは彼自身が言っていたことです)そうなると資本家の期待に添うことが第一優先になり、すべての仕事を把握することは不可能になり安藤以外が設計するようになる。クライアントの期待、イメージの範囲内のものを作ることが求められ、必然的にコピペしたような建築ばかりになってしまいます。ただ資本家の期待には応えている訳なので社会的評価は上がります。商売の道具、公共の福祉としての道具という意味では価値があるでしょうが、”建築の夢”を示しているものではなくなってしまいました。

    若い頃、あれほど”戦う建築”を自負していた彼が、社会的な立場や地位を守るために戦う相手を都合よくすり替えてしまった狡猾さやずるさに怒りにも繋がるような悲しさがあります。あれほど理想に燃えた彼は嘘だったのか。でも今の彼も昔の彼もどちらも真実だと思います。彼には自覚がないと思いますが、いつからか彼は人類共通の”建築の夢”から”個人の快楽”に乗り替えてしまったようです。未だにコルビジェと同じ立場だということにも腹が立ちます。

    彼を攻めても何も生まれないので自分の生き方に問うてみるしかないと思います。ガウディやコルビジェやミースが時に、社会の期待に応えるよりも批判を恐れずに自らの信念に忠実だったように人類の文化文明を一歩押し進める真理というのは、現世利益とは少しズレているところにあるものなのかもしれません。私も出来るかぎり”真理”に近いところで仕事をしたいと改めて思いました。

    追伸
    僕らの仕事は資本と大変縁が深いので、本当に気をつけないといつの間にか「裸の王様」になってしまいます。

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