2014/04/29

本の紹介

珍しくベストセラーを読んでみた。
以前から何となくもやもやしていたことが少し晴れた気がした。

(文中)
「褒めるという行為には、能力がある人が能力のない人に下す評価」
「褒められることによって自分には能力がないという信念を形成していく」
「褒めてもらうことが目的となり、他者の価値観に合わせた生き方を選ぶ」
「褒めるという行為の背後にある目的は操作」
「劣等感とは、縦の関係の中から生じる意識」
「縦の関係を否定し、すべての対人関係を横の関係とする」

「一番大切なことは他者を評価しないこと」
「人は感謝の言葉を聞いたとき、他者に貢献できたことを知る」
「他者貢献とは、誰かに尽くすことではなく、自分の価値を実感するためになされるもの」
「自分に価値があると思えた時だけ、勇気を持てる」
「自分で自分の価値を認めた時にだけ、ありのままの自分を受け入れられる」
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

「対人関係の基礎は、信用ではなく信頼である」
「信用は条件付きだが信頼は無条件である」

「幸福とは貢献感である」
「他者から承認されることによって得られた貢献感には自由がない」

「普通であることは、無能ではありません。わざわざ自ら優越性を誇示する必要などない」
「普通であることの勇気」


等々。












2014/04/12

建築が大好きでいたい

「君の建築はよくわからない」とよく言われる。

それは専門家であればあるほど、著名であればあるほど。

それはなぜか。

僕がブランドに全く興味がないことと、アイコン建築を作らないから。



地位や名誉やお金を得るための道具ではなく、

ただ一生建築が大好きでいたいだけ。

「アイコン建築物」「ブランド建築家」

ユリイカの3月、4月号の飯島洋一氏の論考は痛快だった。
表題は「らしい」建築批評。
内容は新国立競技場計画設計競技の批判に始まり、ザハを初めとする著明建築家が作る建築を「アイコン建築物」といい、彼らを「ブランド建築家」と切り捨てる。また、彼らは資本家の「顕示的消費」「見せびらかしの称賛」のための定番商品を作り続けているだけで、安藤がスタンスが同じというル・コルビジェが抱いた革命の精神性は全くないばかりでなく単なる趣味的なだけだと言い切る。そして、真に強い建築とは自立性や表現の強さではなく、建築が自ずと自然に馴染むことの強さだったり、コルビジェのように社会改革のための建築という強さこそ建築に求められているという。などなど一部を紹介したが、彼の論考は多岐に渡り、数十ページとなり次号にも続いている。

同年代の僕には彼の怒り、悲しみは手に取るほど良く分かる。安藤に憧れ建築家を目指した僕らの世代にとって安藤の裏切りは許せないものだ。僕自身20代はむさぼるように安藤建築を見て回り、ディティールを研究し、いつか安藤のようになりたいと憧れていた。しかし、彼の仕事量や規模が増すにつれ、彼は僕の憧れではなくなった。そして、征服すべき山がなくなった僕の30代は、遭難した登山者のようなだった。もうあの苦しい時代には二度と戻りたくないが、彼がいなくなったおかげで今の僕があることは疑いのないことだ。あらためて思うと僕のこの20数年間はブランド建築家になりたくない、アイコン建築物は作りたくない、資本家の道具にされたくないともがいてきた時間だった。そして、彼がいう真に強い建築を模索した時間だったともいえる。

2014/04/06

送別会

稲熊くんが独立します。
事務所で3年よく頑張ってくれました。
功績をたたえたいと思います。
きっと素晴らしい建築家になってくれると思います。

場所は春日井の焼肉や「わが家」
ここは何を食べても上手いけど
特におすすめはセセリとテールスープかな。