2014/02/25

再度「一つ山の家」の現場の紹介

「一つ山の家」のフィールドサイトを再度紹介します。
http://arch-uno.blogspot.jp/2014/02/blog-post_5394.html

模型が出来ました。


市場価値を期待されないという現実に寄生している私

先日、METROPOLISというニューヨークの雑誌社から取材があり、現在ネットで「竜泉寺の家」についての記事が掲載されている。興味のある方はどうぞ。
問題はそこに書かれていた記事の内容。欧米人にとって住宅は売ることを前提とした資産そのもの。売れない家に価値はない。市場価値というのがその資産価値に大きく反映する。だから欧米の建築家にとって住宅を設計する機会はほとんどない。必然的に設計という仕事の絶対量が少ないから建築家も育たないという図式だ。ひるがえって日本はどうだ。最近、「住宅を買う」というフレーズをよく聞くが「住宅を売る」というフレーズはほとんど聞かない。買うまでが市場でそれ以降は市場からはずれる。せめて税金を徴収するための便宜上の価値しかないのが現状だ。市場価値を期待されないという現実に寄生しているのが我々建築家。見方を変えれば、我々は別の価値の創造を期待されているとも言える。それが我々にとってどれほど恵まれたことかをもう少し考えてみる必要がある。

2014/02/08

ゴーストライターで思うこと

最近著名な作曲家のゴーストライター事件がはかなり世間を賑わせている。かなり批判的な意見が多いようだが、建築家の立場から考えると少し違和感がある。多くの建築家、特に著明といわれる建築家のほとんどは、スタッフが考えたものに少し意見をして設計しているのが現実だ。実際、伊藤豊雄さんや隈研吾さんらはNHKの番組で紹介までされている。僕はそういうやり方に共感もしないし尊敬も出来ないが、結果的に素晴らしい建築が出来るのであればそれでいいと思う。(でも、未だかつてそんな風にしてできた建築に感動したことは一度もないけれど)事実、世間は彼らにゴーストライターがいたと非難はしない。今、非難されている作曲家もイメージは伝え、出来たものにそれなりの意見は言っていたようだ。何が違うのかがよくわからない。唯一違うとしたらスタッフか否かということくらいか。バックグラウンドの詐称は非難されるべきではあるが、作品がよければそれでいいのでは?