2013/02/04

「抽象」と「具体」に関する考察4

ここしばらく難しい独り言が続いたので、ここで少し例を挙げてみる。



例えば、映画が「具体」とすれば、フィルムの1コマが「抽象」ということになる。



だから、写真はある意味「抽象」の極みもといえる。

全く親切さはなく、見る側にすべて委ねている。

したがって、その価値は人によって大きく異なる。

写真という「抽象」はそのシンプルさ故に消費され難い。




ひるがえって、建築の「抽象」はどう考えたらいいだろう。

これは今世界を席巻する日本人建築家に対する本質的な問いかけでもある。




「機能は消費される」

これは折に触れて僕がよく言っていること。

建築は「抽象」を極めても、構造、素材、道具などの機能から逃れることは出来ない。

多くの日本人建築家の建築が、時間とともに急速に色あせてしまうのは、この「具体」を軽んずるからだろう。



「抽象」を極めても、所詮「写真」にはなれないのだ。

もっと「具体」に真摯に向き合うべきだ。

その上で「抽象」を極めていけばいい。



そう考えると、ロンシャンの教会、ファンズワース邸、バラガン自邸などは、ある種の完成型なのだろう。




「Less is More]

「具体」と真摯に向き合いながら「抽象」を極めたミースの心の叫びだ。




畢竟、彫刻家との違いはどこにあるのかという問いがすぐ頭をよぎる。

役に立つから子供を産む訳でもなく、役に立つからペットを飼う訳でもない。

僕は同じように建築を求める人のために作っていきたい。




PS
最近、雑誌で見る建築の多くが写真と相性がいいのは、私の論があながちデタラメではないことを証明している。



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