2013/02/26

桜海道の家

新しいインターンの学生もいるので、サッシの打合せの帰りに桜海道の家と羽黒の家に立ち寄った。




2013/02/22

御幸山の家のメンテ


今日は御幸山の家のメンテに行った。メンテの多くは無垢の扉に関ることが多い。
今回も反ったせいで引戸が壁にすれて傷が入った。アレックスが削っている。



2013/02/17

「監理」という仕事

「監理」の「監」という字の意味をあらためて知った。


「上から下を見る、見張る、取り締まる」


これが、誇りある仕事になるだろうか。


「信頼」とか「共感」なんて微塵もない。


「監理」が必要な建築からは「感動」は絶対に生まれない。


2013/02/16

本郷の家









今日は「本郷の家」のメンテ。普段は借家なので、先住の方が退去された時にメンテに入る。主に漆喰壁の汚れ落とし。毎回初心に帰してくれるこの家は、本当に大切な存在になっている。

2013/02/15

どうぶつ基金

ペットの殺処分を減らすために頑張っているこんな公益法人があります。
「どうぶつ基金」

今日は「八竜の家2」

今日もメンテナンスで「八竜の家2」にお邪魔した。外壁もいい感じになってきて、なんだかすごみさえ感じる存在感。明日は「本郷の家」。

2013/02/14

久々に「桃山の家」

4年近く海外出張で お留守にしていた「桃山の家」のお施主さんから帰国に伴いメンテナンスの相談がありお伺いした。垣根も大きくなり、外壁はかなりいい感じになり、手前みそだけど格好良さが増して気分も上々で帰ってきた。ちなみに明日は八竜の丸い家。通称ムーミンハウスに伺う予定。






ベビーガード

南山の家のお施主さんに昨年、お子さんが生まれたので、昨日はスタッフを連れてオリジナルのベビーガードを作りにいった。



完成はこんな感じ。
思ったより出来はいい感じ。
高さは後で足せるようにした。
しっかりペーパーを掛けて、赤ちゃんにとげが刺さらないようにした。



2013/02/12

Welcome

カナダ人の大学生アレックスが、今日から半年間インターンシップとして事務所に来ました。短い間だけれど、はるばる遠いところから来た甲斐があったと思えるように貴重な経験をしていってほしいと思います。本山の和民にて。

2013/02/04

「抽象」と「具体」に関する考察4

ここしばらく難しい独り言が続いたので、ここで少し例を挙げてみる。



例えば、映画が「具体」とすれば、フィルムの1コマが「抽象」ということになる。



だから、写真はある意味「抽象」の極みもといえる。

全く親切さはなく、見る側にすべて委ねている。

したがって、その価値は人によって大きく異なる。

写真という「抽象」はそのシンプルさ故に消費され難い。




ひるがえって、建築の「抽象」はどう考えたらいいだろう。

これは今世界を席巻する日本人建築家に対する本質的な問いかけでもある。




「機能は消費される」

これは折に触れて僕がよく言っていること。

建築は「抽象」を極めても、構造、素材、道具などの機能から逃れることは出来ない。

多くの日本人建築家の建築が、時間とともに急速に色あせてしまうのは、この「具体」を軽んずるからだろう。



「抽象」を極めても、所詮「写真」にはなれないのだ。

もっと「具体」に真摯に向き合うべきだ。

その上で「抽象」を極めていけばいい。



そう考えると、ロンシャンの教会、ファンズワース邸、バラガン自邸などは、ある種の完成型なのだろう。




「Less is More]

「具体」と真摯に向き合いながら「抽象」を極めたミースの心の叫びだ。




畢竟、彫刻家との違いはどこにあるのかという問いがすぐ頭をよぎる。

役に立つから子供を産む訳でもなく、役に立つからペットを飼う訳でもない。

僕は同じように建築を求める人のために作っていきたい。




PS
最近、雑誌で見る建築の多くが写真と相性がいいのは、私の論があながちデタラメではないことを証明している。



2013/02/03

「抽象」と「具体」に関する考察3

日本人建築家の革新的創造は、具体を伴わない抽象的建築と

あたかも重力が幻想であるかのような抽象の具体化だった。



これが革命なのか

否か。


答えは「時」の中にある。

2013/02/02

抽象・具体・空間・時間


「抽象」とは「具体」の断面であり、時間的連続性を有しない。

「具体」とは「事物」のつながりであり、時間的連続性を有する。

「抽象」は「空間」であり、時間的概念にそれほど意味がない。

「具体」は「時間」であり、空間的概念にそれほど意味がない。

「抽象」と「具体」


第4回「世界で通用するアート教育とは?」
講師:西沢立衛×名和晃平 http://www.ustream.tv/channel/nihonnobijutsukyoiku

西沢さんと僕を比較しては大変申し訳ないが、僕との違いがよくわかる部分があって面白かった。

そして、僕の足りない部分もよくわかった。

特に38分くらいのところ。

彼曰く
「建築家はまず始めに小さくして考える」
「俯瞰して考える」
「抽象的な過程で建築を考えていく」

そして、彼は
「建築家の多くがみんなやっている作業だ」

とも言っているが、

僕のアプローチは少し違う。

僕は「抽象」と「具体(現寸)」を4:6くらいで後者に軸足を置きながら同時に考えていると思う。

僕の建築が彼ほどラディカル(革新的、前衛的)ではないのは、

この最初のアプローチに決定的な違いがあるからだと思う。

この抽象と「具体の最初の軸足の置き方で出来るものはかなり違ってくる。

僕の好きな建築家を勝手に判断してみると

ル・コルビジェ        8:2
ルイス・バラガン       7:3
ピーター・ズントー      6:4
ピーター・マークリ      5:5
ヴァレリオ・オリジアティ   5:5
ミース・ファンデル・ローエ  4:6
ルイス・カーン        4:6
グレン・マーカット      3:7

今日本のトップアーキテクトのほとんどは、10:0 または 9:1 だと思う。

ちなみに住宅作家といわれる著明な日本人建築家は 3:7 〜 1:9 に入ると思う。



これは建築技術の向上と時代性が強く影響しているのだろう。

特に「具体」を必要としないコンペは「抽象」はその威力を発揮する。

日本人建築家が海外コンペで軒並み勝利を手にするのはこれが大きな理由になっている。

「抽象」がこれほど注目された時代は初めてだろう。

そういう意味で今世界の建築は、日本人トップアーキテクトが牽引していると言っていい。

これからは建築技術の向上とともにこの「抽象」と「具体」の時代が交互にやってくるのだろう。



ただ僕が今最も危惧するのは、「具体」のスキルが大変低下していること。

「抽象」は才能によるところが大きいが、「具体」は経験で補うことが出来る。

才能もないのに「具体」を疎かにしたら、建築家としては「死」を待つしかない。



20代は自らの才能に絶望した時代だった。

それを補うかのように30代、40代は経験を積み重ねた時代だった。

しかし、「抽象」を生み出す天賦の才能はいかんともしがたいが、

コルビジェのロンシャンのように傑作を夢見て今全力で生きている。