2017/08/16

「素材を利用しようとする企みは、」  ふたつの展覧会を観て





梅雨の晴れ間




























林の方へ































「深い眠り」























昨日は帰省中の次女と家内の3人でメナード美術館で開催中の田淵俊夫さんの展覧会と

碧南市藤井達吉現代美術館の「リアルのゆくえ」に行って来た。

以前から実物を見てみたいと思っていた犬塚勉さんの作品が2点あった。

また磯江さんの作品に再会できたこともとてもうれしい時間だった。




人は意識無意識に限らず、目の前の現実に対して瞬間瞬間を選択しながら生きている。

写実絵画は、画家のそれを分かりやすく目の前に見せてくれているので面白い。

現実を可能な限り写し取るということは、自分の思いや欲望を足さないということ。

それによって目の前の現実がよりいっそうリアリティーを持ってキャンバスの上に立ち上がってくる。





建築も素材と向き合う時、同じことが謂える。

素材を利用しようとする企みは、直ちに素材のリアリティーを失わせる。

そこに建築の矛盾がある。

だから面白い。



素材を鮮度で考えてはだめだ。




素材を鮮度で考えてはだめだ。

すべて熟成していくもので作られるべきだ。

その後に機能を考える。











Do not think about the material in freshness.

All should be made with the material to mature.

Then think about the function.

2017/08/10

コーヒーを飲みながら建築を思う



以前は事務所でもコーヒーを淹れて飲んでいたが、

最近は娘が結婚式の二次会で手に入れたネスカフェのバリスタで飲んでいる。

始め予備知識のないボクは、何か特別なコーヒーを淹れられるものだと思っていたが、

結局は、組み合わせで多少のバリエーションがあるものの

インスタントコーヒーには変わりはなかった。


このことで今更ながらコーヒーを淹れて飲むことの価値を再発見し、

それはそのまま建築にもリンクすることだと思った。


コーヒーを淹れて飲むことの価値は、あえて謂うならば

「安らぎの時間」だろうか。

ただこれだけではすべてを伝えられないもどかしが残る。

インスタントコーヒーには絶対に出せない淹れたてのコーヒーの時間。

言葉では伝えられない感覚。

それほど個性的で個別的な感覚だ。



大切なことは、

シンプルであること。

愛情を惜しまないこと。

そして、寛容なこと。



これはそのまま建築にも言える。

また、建築家の価値はそこにこそある。

























2017/08/03

建築の雰囲気は



「建築の雰囲気や空気感はにじみ出てくるものである。決して恣意的に作り出せるものではない。だからそれに関わる全ての人の心を大切にしなければならない。」
                                         
                                             宇野友明







The atmosphere of the architecture oozes out. It can never be produced arbitrarily. So we must cherish the hearts of everyone involved in it.


                                                                                                      T. Uno

2017/07/21

”自分らしさ”は幻想


以前から瞑想をする習慣がある。
最近は「マインドフルネス」と言うらしい。
それについて僕なりに考えてみる。

自分らしさとか生きる意味や価値は元々存在しない。
それらは社会から与えられたもので、幻想や思い込みにすぎない。

瞑想とはそういった幻想や思い込みから自分を解放する行為のこと。
何も考えない練習のこと。
考えがいろんなところに飛ぶが、その都度何も考えないところに戻ってくる。
実はその何も考えない自分が本来の自分である。

それに気づくこと。

それを知ること。

それを認めること。

それを大切にすること。

そして、そういう自分の存在を実生活の中で少しずつ大きくしていくこと。



人は自分に執着する。

瞑想とは執着する自分自身が元々存在しないことを自覚する行為。

これは禅の教えの神髄でもある。



可能であるならば、社会的な価値や評価を全く気にしないで仕事をしたい。
そんな僕に瞑想は勇気を与えてくれる。





I have a habit of meditating from before.
Recently it seems to be called "mindfulness".
I will think about it.

There is no meaning or value to live, such as yourself.
They are given by society and are only illusions and beliefs.

Meditation is the act of releasing myself from such illusions and beliefs.
The practice not thinking about anything.
We fly thought to various places, but they come back to places we do not think about every time.Actually I do not think about that I am my own self.

To notice it.

To know it.

To admit it.

To cherish it.

And, to gradually increase such existence in real life.



People stick to themselves.

Meditation is the act of consciously realizing that myself that is obsessed does not originally exist.

This is also the essence of Zen teachings.



If I can do it, I do not want to work with consciousness of social value and evaluation.
A meditation gives courage to such me.

2017/06/28

怖がらずに勇気を持って生きよう!



今の社会を「安心社会」、「信頼社会」、「ブランド」という切り口で考えた。そこから個人として如何に生きて行くかを書いた。特に個人事業主の方はご一読を。


安心社会
日本社会は、長い時間をかけて人々を共同体に縛りつけておきながら相互規制を生み出すやり方を洗練させてきた。特に重要なのは、相互監視によって外部からの強制ではなく「和の心」「思いやりの心」で行動するのだと人々が考えるようになったことだ。その結果、人様にとやかく言われないように身を慎むことが至上の美徳となり、それを身につけた人々が暮らす社会こそが日本人が理想としてきた安心社会だった。その中にいる限り信頼出来る人たちかどうかを考える必要のない社会ではあった。しかし、そのなかでは互いに助け合うが、それ以外の人たちは信頼できない社会である。そこにとどまっている限りは安心できるが、そこから外れた時には大きなリスクを生む社会である。そのリスクを避けるために周りの人から嫌われないように、周りの人たちからどう思われるかを気にして生きていくことが必要になる。こうした社会での暮らしは、同じ仲間であることに懸念をもたれるような行動や態度は慎まなければならない。


高度成長期以降は、人々を土地ではなく企業という新たな共同体に縛りつけることで、日本式の安心社会を作ってきた。その社会にいるうちは人々は積極的にチャンスを活かした生き方をするよりは、波風を立てないリスクを避ける生き方を好ましいと思うようになる。格差が激しくなりつつある今の日本ではより以上にそこに留まろうとするメンタリティーが強くなっている。昨今の大企業の倒産や経営不振はその現れでは無いだろうか。実際、世界価値観調査の結果によると、日本人のリスク回避傾向は世界で一番強いようだ。しかし、グローバル化が進む中では、自らの意思や主張を明確にしながら知らない人たちとの間にも積極的な協調関係を築いて、お互いリスクをとりながらチャンスを活かせる社会を作らなければ、日本の将来は明るくないだろう。



信頼社会

日本人が築いてきた安心社会は理想的な面もあるが、内向きで夢や希望が持ちにくい社会でもある。一方、人類は法律という約束を作り、知らない人とも積極的に関係を持つことで社会を作り変えてきた。法律で秩序を守りながら様々な垣根を越えて行くことができる社会が信頼社会だ。どこにいても法律が個人をも守ってくれることで、他者一般に対する信頼が育っていく。その中で個人がリスクを取りながら自分の目的を自由に追求する生き方ができるようになる。


ブランド
しかし、法制度だけで社会の秩序を良好に維持するのは難しい。その時に一番有効なのが、人々が自発的に評価しあうことで得られる評判だ。これまでの安心社会では仲間うちでの悪い評判を避けることが重要であったが、これからの信頼社会では、仲間うちを超えてどこでも通用する良い評判を確立することが重要だ。もちろん良い仕事をするのが当然ではあるが、それだけでは社会に参加していることにはなりにくいのが信頼社会の現実だ。そのために自分の評判を広めることに投資をする必要がある。そして、良い仕事であれば、その評判はどこにいっても通用する形で社会に浸透していく。今それは一般にブランドと言われている。それがこれからの時代に利他的に人々を行動させる信頼社会の作り方だ。しかし、そのブランドもお金で買えるという資本主義の弊害もあるが、一人一人は確かなリテラシーを持って、どこでも通用するブランドを広くシェアできるようにするというのが、これから信頼社会を生きていくためには大切なことになる。